会報誌

魅了されたバレエの世界 夢を叶えてロンドンへ Kバレエ アカデミー 蔵 健太校長インタビュー

 

美しい姿勢や優雅な動きで観客を魅了し、世界中で最高峰の芸術として認められているクラシックバレエ。日本では子どもから大人まで、習い事としても高い人気があります。今号および次号では、英国ロイヤル・バレエ団にて17年間、日本人初の英国ロイヤル・バレエ学校の教師として11年間活躍し、現在はKバレエ アカデミー校長を務める蔵 健太氏にお話を伺いました。前編となる今回は、バレエを始めたきっかけや、プロダンサーとなる夢をいかに叶えたかなどを語っていただきました。次回後編では、子ども達に指導するうえで大切にしていること、次世代の子ども達へ伝えたいメッセージなどをお届けします。

蔵 健太(くら けんた)K-BALLET ACADEMY / K-BALLET SCHOOL 校長

蔵 健太氏プロフィール

北海道生まれ。1995年ローザンヌ国際バレエコンクールにてスカラーシップ賞を受賞し、英国ロイヤル・バレエ学校に入学。97年英国ロイヤル・バレエ団に入団、2006年ソリストに昇格し、「眠れる森の美女」ブルーバード、「ロミオとジュリエット」マキューシオ等主要な役を踊る。14年より日本人初の英国ロイヤル・バレエ学校の教師として全学年を指導。23年よりプロフェッショナルダンサーを専門的に育成する「K-BALLET ACADEMY」と関東5校に展開する「K-BALLET SCHOOL」の校長に就任。

「何だ、この世界は」 好奇心で始めたバレエ

石井氏
―まずは、バレエとの出会いから教えてください。

蔵氏:幼い頃から、剣道や野球、サッカーなど、さまざまなスポーツをしていました。バレエを始めたのは8歳のとき。父が勤めていた会社の隣に、たまたまバレエスタジオがあったんです。そのスタジオの地下にあるカフェで、父がバレエの先生と知り合い、「運動が好きな息子さんなら、一度連れてきてみたら?」という話になったそうです。父に連れられて初めてスタジオに行ったときは、「何だ、この世界は!?」という感じでした。女の子しかいなくて、でも、何だか皆すごく楽しそうに踊っているんですよ。それで、「とりあえずやってみようかな」という好奇心で始めることになりました。

石井氏
―好奇心から始めたバレエに、本格的にのめり込んでいったきっかけは何だったのでしょうか?

蔵氏:10歳の時に、札幌で開催されたバレエのワークショップに参加したことですね。そこで、熊川 哲也さんと出会ったんです。熊川さんと言えば、当時ローザンヌ国際バレエコンクールでゴールドメダルを獲った直後で、バレエをやっている方なら誰でも知っている大スター。実は、私のバレエの先生のお弟子さんが、熊川さんの幼少期の先生だったというご縁もあり、ワークショップの日に初めてご挨拶させていただいたんです。すると、同郷ということもあってか、とても優しく接してくださって。いやぁ、うれしかったですね。しかも、当たり前ながらバレエがものすごく上手なんです。見たことのない超絶な動き、柔らかさ、素早さ……。音楽に合わせて踊るのではなく、踊りに音楽がついてくる感じとでも言いますか。すっかり魅了されてしまって、「よし、自分もローザンヌ国際バレエコンクールで賞を獲って、ロイヤル・バレエ学校に行くぞ」と。これが私にとって大きな転機になりました。

石井氏
―そのワークショップには、選ばれて参加したのですか?

蔵氏:いえいえ、自分で申し込んで行きました。ローザンヌ国際バレエコンクール公認のワークショップだったのですが、すごい方たちが全国から集まっていて、衝撃を受けましたね。自分ではなかなかイケてるダンサーなのかなと思っていたら、全然そんなことはなかった。完全にお山の大将でしたよ。このワークショップを機に、練習に対する意識も変わりました。まず、世界中のいろいろなバレエダンサーの映像を見るようにしました。とはいえ、北海道だとなかなか映像も手に入らなくて。親に頼んで少し離れた町のレンタルビデオ屋さんまで連れて行ってもらって、ありとあらゆるビデオを借りて研究しました。

言語の壁を乗り越えて育んだ「創造力」

石井氏
―それからロイヤル・バレエ学校への留学という夢を叶えるまでの道のりは、順風満帆だったのでしょうか?

蔵氏:順風満帆とは言えなかったですね。小学校高学年のときに、初めてコンクールに出場するために上京したのですが、そのときはたしか40位ぐらいだったと思います。北海道では「上手、上手」なんて言われていたのに、鼻をへし折られて帰ることになって。このころから、東京に行くにも高い飛行機代がかかるなど、現実的なことも見えるようになりました。親は何も言いませんでしたけど、やっぱり子どもながらに分かるんですよ。東京にそう何度も行けるわけじゃない。先生方もうちがそんなに裕福でないことは知っていましたから、出場するのは「全日本コンクール」と「ローザンヌ国際バレエコンクール」、この2つだけだと。少ないチャンスをものにしなければいけないという覚悟はずっとありました。

石井氏
―今は共働きでご両親が忙しい家庭が多く、子どもを遊ばせる時間が短くなっているという現状を考えると、生活の中にうまく運動を取り入れていく必要がありそうですね。

蔵氏:昔は公園で放っておいて自由に遊ばせていたものですが、今は安全面から、子ども達だけでは遊ばせられない時代になりました。でも、親御さんたちも、運動は何かやらせないといけないと考えていらっしゃる。そこで、お子さんを水泳教室や体操教室などに通わせる方が増えてきましたよね。それ自体は悪いことではありませんが、個人的には、週に2、3回スポーツ教室で運動するぐらいでは全く不十分だと思っているんです。

石井氏
―そのチャンスを見事に生かして、全日本コンクールで3位(男子としては1位)、ローザンヌ国際バレエコンクールでスカラーシップ賞を受賞し、ついにロイヤル・バレエ学校に留学することになったわけですね。当時、ご家族はどのように支えてくれていましたか?

蔵氏:私は、夢中になると入り込んでしまう性格なのですが、両親はできる限り自由にさせてくれました。そのころは祖父もまだ生きていて、夜遅い練習の送迎をしてくれたりしました。祖父は、私が失敗するたびに「健太、人生に無駄なことなんて一つもないんだよ」と言っていましたね。不器用な私に対する慰めだったと思うんですけど、それがとても印象に残っていて。今でも、「打率を上げるには、失敗を恐れずに打席に立つこと」というのが、私のモットーの一つになっています。

石井氏
―ロンドンでは言語の壁もあったと思いますが、英語はどうやって身に付けたのですか?

蔵氏:英語辞書を片手に、新聞をなるべく毎日1ページ読むようにしていました。ただ、政治のニュースなどは全然分からないので、私が見ていたのはもっぱらスポーツ欄です(笑)。サッカーのプレミアリーグなど、自分が興味のあるところを読んでいました。それから、テレビのニュースを英語の字幕付きで見たり。あとは、いろいろな映画のビデオを借りました。例えば、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のような、もともと自分が知っている映画を字幕付きで見るんです。ストーリーやセリフが分かっているので、「あぁ、英語でこれを言うとこうなるのか」などと見ながら勉強していました。

石井氏
―英語が話せるようになったことで、バレエの面で何か変化はありましたか?

蔵氏:英語辞書を片手に、新聞をなるべく毎日1ページ読むようにしていました。ただ、政治のニュースなどは全然分からないので、私が見ていたのはもっぱらスポーツ欄です(笑)。サッカーのプレミアリーグなど、自分が興味のあるところを読んでいました。それから、テレビのニュースを英語の字幕付きで見たり。あとは、いろいろな映画のビデオを借りました。例えば、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のような、もともと自分が知っている映画を字幕付きで見るんです。ストーリーやセリフが分かっているので、「あぁ、英語でこれを言うとこうなるのか」などと見ながら勉強していました。

ロイヤル・バレエ時代の蔵氏。上は「シルヴィア」のアムール 下は「眠れる森の美女」のブルーバード。

自分を高めるカギは「言語化」すること

石井氏
―気づいたことを言葉にして、会話することが上達につながるのですね。

蔵氏:そう思います。言語化するということは、今、自分は何ができて、何ができていないかを認識できるようになるということです。例えば、何かを感じたり気づいたりしたとき、その感覚って次第に薄れていってしまいますよね。でも、薄れる前に言語化すれば、自分の中で記憶しておくことができます。自分を高めるためには、先生から言われたことをただ一生懸命やっていけばいいと思いがちですが、それだと、近道に見えて実は遠回りになる。ですから、子ども達に教えるときも、私が一方的に話すのではなく、「今、何ができている?」「どう思う?」となるべく時間をかけて会話するようにしています。そうして子ども達自身が言語化したほうが、最短距離で上手くなれるということを最近改めて実感しています。

石井氏
―厳しい競争の世界で、ときには英語で自己主張しなければいけないこともありましたか?

蔵氏:うーん、ダンサーのときは、言葉で主張することはあまり多くなかったと思います。ただ、自分のバレエがうまく行き始めたなと思ったきっかけが、頭の中が英語になったときだったというのはありますね。言語が変わると、呼吸が変わるんです。例えば、日本語だと「わたしは/きょう/おどった」と音節ごとに語尾が切れるじゃないですか。でも、英語だと「I danced today」とつなげてゆっくり流れるように話しますよね。もともと私の踊りは「硬い」と言われていたんです。熊川さんからも、「健太はシャープな踊りはうまいけど、もっと柔らかくしなきゃだめだよ」と。そのときに、「健太、頭の中は英語にしたほうがいいよ」とアドバイスをいただいたんです。

石井氏
―頭の中の言語によって、呼吸や体の動きまで変わってくるのですね。シャープな踊りは、日本人ダンサーの特徴と言えるのでしょうか?

蔵氏:そうですね。バレエは筋力を育てなければいけないので、まずはキレのある動きを会得しなければならないのですが、日本の子たちはそういう動きはとても上手です。だから、10歳から15歳までの日本人は、今、海外でものすごく高い評価を受けているんですよ。私も「日本人の才能ってすごいね」「日本人は何でそんなに早く機敏に動けるの?」とよく聞かれます。私の考えでは、言語による呼吸の違いだと思うんですよね。

石井氏
―もともとキレのある動きが得意な日本人が、柔らかさまで習得できたら、最高のダンサーになれそうですね。

蔵氏:そうなんですよ。海外で活躍している日本人ダンサーを見てみると、ほとんどの方が英語やフランス語を上手に使いこなしているんですよね。もちろん、それが全てかどうかは分かりませんけど、私自身の経験からも、言葉を英語に変えるとバレエのレベルが一段階上がると思っています。だから、アカデミーの子ども達にも「頭の中はなるべく英語に」と言っているんです。これからも「シャープさ」と「しなやかさ」の両方を兼ね備えたダンサーがたくさん育ってくれることを期待しています。

(聞き手/株式会社LOCOK代表取締役、金沢工業大学虎ノ門大学院准教授 石井大貴)