
「遊☆戯☆王」「進撃の巨人」「マスカレード・ナイト」など、数々の話題作に携わってきたアニメーション・映像監督の糸曽 賢志さん。10代で宮崎 駿監督に師事し、現在は大阪成蹊大学芸術学部の学部長・教授として、次世代のクリエイター育成にも力を注いでいます。そんな糸曽さんの原点にあったのは、画家である母のもとで絵に親しんだ幼少期と、自分の強みを生かした「戦い方」で自らの道を切り拓いてきた経験でした。今回は、子ども時代の思い出や母から受けた教育、そして自身の経験から考えるこれからの子どもたちに必要な力などについて伺いました。
アニメーション監督、大阪成蹊大学芸術学部長・教授、投資家糸曽 賢志さん
10代で宮崎駿監督に師事。以来、アニメ・実写・音楽などジャンルを越えて幅広い映像作品に携わり、『進撃の巨人』『マクロスΔ』などのアニメ作品から、SMAPのコンサート映像、YOASOBIのMVも手掛ける。現在は大阪成蹊大学芸術学部長・教授として、次世代のクリエイター育成と学部経営にも取り組む。自ら出資・監督した映画『サンタ・カンパニー』では、作品を全国の小学校へ無料で届ける活動も展開。「作品・教育・ビジネス」をつなぎ、クリエイターの新しい可能性を追求している。近年の監督作に『神の雫』『想星のアクエリオン』など。
まずはやってみる 母の教えが育んだ姿勢
石井氏
―幼少期はどんなお子さんでしたか?
糸曽氏:すごく人見知りで、人と話すのが苦手な子どもでした。母はそれを直したかったようで、小学校6年間、毎年「学級委員になってきなさい」と言われていました。学級委員になると、人前で喋ったり皆をまとめたりする機会が増えますよね。なので、「やりたい人?」と聞かれたら必ず手を挙げるよう、半ば強制されていました(笑)。あとは、知らない子どもたちが集まる野外活動などにもよく参加させられました。そういう経験を繰り返すうちに、知らない人とも自然と話せるようになりました。振り返ると、当時は嫌々やっていたことでも、経験したからこそ身についたものがたくさんあったと思います。学校6年生のとき、通っていた地元の小学校でお正月集会というイベントが開催されて、お餅つきや羽根つきなどさまざまな出し物の中に、けん玉コーナーがあったんです。けん玉の基本的な技の一つに、大皿と中皿に玉を交互に乗せ続ける「もしかめ」という技があるのですが、このとき、その「もしかめ」の学校内のチャンピオンを決めることになって。ところが、僕はそれまでけん玉をやったことがなかったので、全く上手くできなかったんですよね。周りには結構上手な子もいて、「お前、下手だな」と(笑)。それがすごく悔しくて、その日からけん玉を練習し始めました。
石井氏
―お母さまはしつけにも厳しかったのでしょうか?
糸曽氏:そうですね。僕が最初の子どもだったからか、妹と比べても僕の方が厳しくしつけられた印象があります。でも、そのおかげで、苦手なことでも「どうすれば克服できるだろう」と考える力が鍛えられた気がするんですよね。今は子どもの意思や個性を尊重することが、とても大切にされています。それ自体は素晴らしいことだと思います。ただ一方で、子ども自身が「苦手だからやらない」と決めてしまう前に、親が少しだけ背中を押して、経験する機会をつくってあげることも必要なのかもしれません。
石井氏
―当時、お母さまに対してはどのように感じていましたか?
糸曽氏:子どものころは、親の存在が絶対的でしたから、厳しくしつけられても、それが正しいと思っていました。だから嫌だと感じたことはなく、「何だかいろいろやらされるな」くらいの認識でした(笑)。親は親で、良かれと思ってやってくれていたのでしょうね。
「誰も知らないものを作ればいい」という発想
石井氏
―アートやエンタメの世界に興味を持ち始めたのは、いつごろですか?
糸曽氏:母親が画家で、家でいつも油絵を描いていたので、幼いころから隣で真似して絵を描いていました。漫画やアニメに興味を持ったのは、小学生のころです。当時「週刊少年ジャンプ」が流行っていたのですが、僕の親は漫画を買ってくれなかったんです。仕方なく、あとから友達に読み終わったお古のジャンプをもらったりしていました。でも、だんだんそれも嫌になってきて。今思えば、みんなが知らない本を読むとか、ジャンプの話題には入らないようにするとか、いろいろな選択肢があった中で、僕は「だったら、誰も知らないものを自分で作ってしまえばいい」という発想に至ったんですよね。
石井氏
―「自分で作ってしまえばいい」と。それは面白い発想ですね!
糸曽氏:それで、当時好きだった「ドラゴンボール」を真似たような漫画をノートに描き始めました。同じクラスに、以前から漫画を描いている子がいて、その子の漫画はみんなから大人気だったんです。一方、僕の漫画はクラスメイトから「下手だな」と。それでも描き続けていたら、半年ほど経った頃、ガキ大将みたいな子から「お前、上手くなったな」と言われたんです。それがすごく嬉しくて。5年生のころです。もともと誰かに見せるつもりで描き始めたわけではなかったのですが、次第に「また見せてよ」と言われるのが楽しくなっていきました。

石井氏
―大学は上京して美術系の大学に進学されたのですよね。
糸曽氏:はい。当時、美術系の大学に入るには倍率が高く、二浪や三浪も当たり前でした。でも、親からは「現役合格でなければ進学させない」と言われていて。そこで、高3の夏休みに、まず候補にしていた東京の大学をすべて回り、一番行きたい学校を決めました。次に、その大学や系統の近い大学の、過去の入試で高く評価された作品が載っている冊子を5年分取り寄せて分析しました。僕が行きたい学校は、入試科目がデッサン・デザイン・立体などから選べたのですが、倍率を調べたら他が20〜30倍なのに、立体だけ2~3倍だったんです。それで、「ここが穴場だ」と思い、立体で受験することにしました。
分析から見つけた自分なりの「戦い方」
石井氏
―これまで未経験だった立体で受験することにしたのですか?
糸曽氏:そうです。ただ、立体はやったことがなかったので、僕には作品の良し悪しがわかりません。そこで、過去の合格作品を見て、どんな作品が評価されるのかを調べました。さらに、立体に詳しい美術の先生や親にも意見を聞いて、自分の好みも踏まえながら、参考にする作品を2つほど選びました。その2つの要素を組み合わせて展開図を作り、そこに一つだけ自分なりのオリジナリティを加えて、作品の型を作ったんです。そして本番では、「どんなテーマが出てもこれを作る」と決めて挑みました。
石井氏
―作戦を立てて臨んだ本番ではいかがでしたか?
糸曽氏:たしか「平和」「未来」のような、幅広く解釈できるテーマが出たので、用意してきたものを黙々と作りました。ただ、その年は初めて、用意された円柱を必ず作品に使うという条件が加わっていて。最後は苦し紛れに、円柱をつま楊枝のようなもので刺して作品に加えました。後日、立体に詳しい先生に見せたら、「この刺した部分は良くないね」と言われてしまいましたが(笑)、結果的には無事に合格することができました。
石井氏
―がむしゃらに努力するだけではなく、「どこでどう努力するか」を考えたのですね。
糸曽氏:はい。そこからは常に課題に対して、自分に何ができるのか、相手は何を求めているのか、どこなら勝負できるのかを考えるようにしています。
宮崎監督に学んだ10代 「誰に何を伝えるか」を軸に
石井氏
―スタジオジブリで宮崎 駿監督に師事したのはいつのことですか?
糸曽氏:大学1年生の時です。当時、宮崎 駿監督自らが教鞭を執り、将来監督になりたい人や、自分で作品を作りたい人を集めて直接指導する、いわば「演出塾」のようなものを開くと発表されたので、ぜひ行きたいと思って応募しました。
石井氏
―こちらも倍率はかなり高そうですね。どのように対策されたのでしょうか?
糸曽氏:世界中から応募者が殺到したと伺っています。ジブリの選考でも、まずは宮崎監督の作品を徹底的に分析しました。すると、スタッフロールに記載されているキャラクターデザインの担当者が、作品ごとに違うことに気付いたんです。でも、僕からすると、どのキャラクターも全部宮崎監督が描いたように当時は見えた。ということは、宮崎監督が誰が描いた絵でも自分の作風に寄せて修正しているのか、スタッフが宮崎監督の絵に寄せているのか、ジブリのアニメーションはそのどちらかで制作されている、と仮説を立てたんですね。いずれにしても、宮崎監督の作風に近い絵でなければ、ジブリでは評価されないと考えました。そこで、審査課題用の作品としては宮崎監督がデジタルを好まないことも踏まえ、手描きの水彩で、宮崎監督らしい絵を描いて提出しました。「自分の描きたいものを一方的に見せるのではなく、宮崎監督が何を大切にしているのか」をまず理解しようと思ったのです。
石井氏
―求められていることを分析しつつ、自分らしさも表現する。両立するのは難しそうですが、そのバランスについて学生たちにはどう伝えていますか?
糸曽氏:難しいですよね。ただ、大きなことをしようとすればするほど、人のお金を預かったり、多くの人を巻き込んだりします。だからこそ、自分が作りたいものを作るだけではなく、関わった人に「やってよかった」、見た人に「見てよかった」と思ってもらえるものを作る必要があります。「俺はこうなんだ!」と我を貫いて評価される人も、中にはいるかもしれません。でも、これまで僕が見てきた尊敬できる大人たちは皆、少なからず相手のことを考えながら作品を作っていました。ですから学生たちにも、まずは「誰に何を伝えたいのか」というゴールを明確にすることが大事だと伝えています。
石井氏
―先生は自分の得意な場所を分析して見つけました。子どもの得意分野を親が見つけるには、どうすればいいと思いますか?
糸曽氏:僕は、親が「この子はこれが得意だ」と早く決めすぎない方がいいと思っています。子どものころって、まだ経験したことのないものの方が圧倒的に多いですから。まずはいろいろなことを経験させて、その中で、放っておいても続けていることや、何度失敗してもまたやろうとすることを見てあげる。それが、その子の得意なことにつながっている場合が多い気がします。それと、「上手にできること」だけが得意分野ではないと思うんです。人に説明するのが好きだったり、何かを集めるのが好きだったり、ずっと疑問を持って調べ続けたりすることも立派な個性です。親が答えを決めるのではなく、「なんでそれが好きなの?」「どこが面白いの?」と聞きながら、一緒にその子の特徴を見つけていく。そのためにも、子どものうちはできるだけ多くの選択肢に触れさせてあげることが大切なんじゃないかと思います。
(聞き手/株式会社LOCOK代表取締役、金沢工業大学虎ノ門大学院准教授 石井大貴)





