会報誌

子どもの教育で重要なのは親が「腹落ち」すること ~慶應義塾大学教授 冨田勝氏インタビュー~

親であれば誰しも、わが子には幸せになってほしいと願うもの。そのためには、より良い教育が大事だと考えている方も多いことでしょう。それでは、より良い教育とは一体何でしょうか? 自身も世界的な研究を行う一方、日米の大学で教鞭をとりグローバルに活躍する教え子を多数輩出してきた慶應義塾大学の冨田勝教授に、自身の幼少期や今の日本に必要な教育、日米の文化の違いなどについて伺いました。

冨田 勝氏 プロフィール

こ東京都出身の生命科学者。慶應義塾大学工学部卒業後、カーネギーメロン大学にて博士課程を修了し准教授として教鞭をとる。1990年に帰国し、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス開設と日本初のAO入試の導入に関わる。慶應義塾大学環境情報学部助教授、教授、学部長歴任。慶應義塾大学先端生命科学研究所の開設に関わり、2023年3月末に退任するまで約20年にわたり所長に就任。近著に「みんなで考えるAIとバイオテクノロジーの未来社会」(かんき出版)がある。

管理教育の真逆 自由に育った幼少時代

石井氏
―幼少期はどんなお子さんだったのでしょうか?ご両親の言葉で影響を受けたことなどがあれば教えてください。

冨田氏:いやぁ、実は、親から「こういう人間になってほしい」というようなことを言われた記憶が一切ないんですよ。「勉強しろ」と強制されたことも一度もないですし。振り返ると、かなり自由に育てられたなと思います。
幼少期のエピソードで母から聞いているのは、初めて幼稚園に行った日、みんなで体操をする時間なのに、私だけ壁にへばりついたまま最後まで参加しなかったと(笑)。そこで普通だったら、「勝君もこっちに来て一緒にやりましょう」とか、先生が少しプレッシャーをかけるじゃないですか。でも、私が通っていた幼稚園ではそういうことが全くなくて。心配する母に対しても、先生は「この子は人見知りをしているのではなく、初めて会った先生やお友達をじっと観察しているんです。だから、本人の気がすむまで見守りましょう」と言ってくれたようです。

石井氏
―子どものころから客観的な視点を持っていたという、研究者の冨田さんらしいエピソードだと感じました。それにしても、幼稚園の先生の対応もユニークですね。

冨田氏:そうなんですよ。私が通っていたのは、自由学園幼児生活団という園で、管理教育とは真逆の教育をしている幼稚園でした。まず、週に一日しか登園しないんです。そして、「幼児生活団」という名のとおり、いろいろなことを体験させてくれました。例えば、幼稚園ではハトやうずらを飼っていたのですが、そのハトを一度放して、伝書鳩のようにまた戻ってくるのかどうかを検証したり、うずらをしばらく家で引き取って育てて、その卵をご飯にかけて食べたり。こうしたユニークな経験の数々は、今でも記憶に残っています。

石井氏
―子どものころから客観的な視点を持っていたという、研究者の冨田さんらしいエピソードだと感じました。それにしても、幼稚園の先生の対応もユニークですね。

冨田氏:そうなんですよ。私が通っていたのは、自由学園幼児生活団という園で、管理教育とは真逆の教育をしている幼稚園でした。まず、週に一日しか登園しないんです。そして、「幼児生活団」という名のとおり、いろいろなことを体験させてくれました。例えば、幼稚園ではハトやうずらを飼っていたのですが、そのハトを一度放して、伝書鳩のようにまた戻ってくるのかどうかを検証したり、うずらをしばらく家で引き取って育てて、その卵をご飯にかけて食べたり。こうしたユニークな経験の数々は、今でも記憶に残っています。

石井氏
―登園日以外の週6日は、どうやって過ごしていたのですか?

冨田氏:家で普通に遊んでいましたよ。父が音楽家だったこともあり、バイオリンとピアノだけは3歳から習っていましたが、残念ながらどちらも芽が出ませんでした(笑)。楽譜に「だんだん早く」とか「ここは強く」などと書かれていて、その通りに弾かなければいけないというのが、子どもながらにどうしても納得できなかったんです。それでも小さいうちは親に忖度して続けていたのですが、小学校5年生ぐらいになってついに「やめたい」と言ったら、親も即座に「わかった」と。多分、私の顔色を見て、「この子はいずれやめたいと言うだろうな」と気づいていたのでしょうね(笑)。

日本に必要なのは“脱”優等生を伸ばす教育

石井氏
―ご両親は「自由に育てよう」という教育方針を話し合って決めていたのでしょうか?

冨田氏:うーん。そういう雰囲気は一切ありませんでしたね。私の両親は、子どものころに戦争を経験しています。戦時中は、まさに明日食べるものにも困るような状況。兄弟も多いし、そのうち何人かは戦争で亡くなってしまうような時代ですから、教育方針がどうのといって育てられた人はいなかったと思います。だから、自分の子どもを育てるときも「なるようにしかならない」という感じだったのではないでしょうか。
ひとつ興味深いのは、戦後の日本を一気に経済大国へと押し上げたのは、この戦争経験者たちなんですよね。戦争という混乱の中で、子どものころは学校での勉強などほとんどできなかった世代です。当時は娯楽と呼べるようなものも全然なくて、父いわく「星空が唯一のエンターテインメントだった」と。そういう時代に、星空を見上げながら自分の人生や物事の本質についてじっくり考え、しっかりした人生哲学を持った人たちが、日本の急成長を支えたわけです。ところが、戦後になると管理教育が始まり、皆が教科書どおりの勉強をして、点数ばかり競い合うようになりました。そして、必死に点数争いをしてきた世代が社会の意思決定をするようになった途端、日本の成長は止まってしまったのです。もしこれが偶然だとすれば本当に皮肉な話ですし、教育の本質とは一体何なのだろうと考えさせられますよね。

石井氏
―長く低迷期が続いている日本ですが、今後成長していくためにはどんな教育が必要だと思いますか?

冨田氏:今の日本の教育は、「優等生による優等生のための教育」になっていると思います。成績のいい人が学校の先生や文部科学省の官僚になって、良かれと思って教科書を分厚くしたり、管理教育を徹底したりしようとする。勉強が好きな人にとっては、それでいいのかもしれません。ただ、世界で活躍する人たちを見てみると、実は優等生って少ないんです。本田宗一郎も松下幸之助もスティーブ・ジョブスも、みんな“脱”優等生ですよね。ノーベル賞受賞者の中にも、浪人生がたくさんいます。つまり、教科書に書いてあることをきちんと覚えるというのは一つの特技だし、それができる人も社会には必要だと思うけれど、経営者とか研究者には向いていないと思うんですよ。イノベーションを起こすには、教科書に書いていないことをやらなきゃいけないわけですから。今の日本に必要なのは、そういう“脱”優等生を伸ばす教育だと思います。

石井氏
―そうは言っても、現実には大学受験があると思うと、どうしても点数主義から抜け出せない親御さんもいらっしゃるかもしれません。

冨田氏:私は、受験生とその親御さんたちに、大学を全てAO入試で受けることをすすめています。そのために中学生ぐらいから、どんなことでもいいから興味のあることを徹底的に深掘りして、AO入試のネタになるようなものを探してくださいと。マニアックすぎて一見何の役にも立たなそうなことでも、とことん極めれば、「へぇ、すごい」と周りの人が認めてくれるようになります。一人一人持ち味は違うのですから、そうやって自分だけの強みを見つけてほしいですね。最近は、日本でもAO入試や推薦で大学に入る人が過半数を占めるようになってきました。そういう人が社会の意思決定をする年代になれば、間違いなく世の中は変わりますよ。それにはあと10年か15年ぐらいかかるかもしれませんが、いずれにしても今の子どもたちが大人になるころには、ねじり鉢巻きして必死にテストの点数を競う時代は終わっていると思います。


慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの学生たちと

子育てに正解はない 腹落ちする答えを探し続けよ

石井氏
―アメリカと日本の大学で教鞭をとってみてどんなことを感じましたか?日米の学生の違いなどがあれば教えてください。

冨田氏:当時の日本の大学は今にもまして“ぬるま湯”だったので、それと比べるとアメリカの大学は非常にシビアだなと感じました。例えば、日本ではまだ導入されていなかった、学生による授業評価がすでに取り入れられていました。ほかにも、授業を休講にしたら学生に喜ばれるどころか文句を言われたり、4割の学生にAをつけたら「つけすぎだ」と怒られたりしたことも。日本の大学と違って、なぁなぁなところがないという印象でした。
それから、アメリカの大学には、教員も学生も外国籍の人がたくさんいます。一度軍隊に行ってから大学に戻ってくるという人も珍しくありません。そういう環境で過ごしていると、むしろ日本の多様性のなさが少し奇異に思えてきて。そもそも日本のことなんて、海外の人はよく知らないんですよ。中国と陸続きだと思っている人もいるぐらいですから。そんな小さな島国の中で、少しでも偏差値が高い大学に行こうと青春を削って競争している。それがいかにちっぽけなことか、身に染みて痛感しました。このように日本の外に出ることで初めて感じられることもあるので、若い人たちにもぜひ、留学でも旅行でもいいので海外に出てみてほしいですね。


カーネギーメロン大学の博士課程修了式にて


同大学で初めての指導学生が博士号を取った日

石井氏
―プライベートでも日米で子育てをされた経験をお持ちですが、育児やしつけなどの面で文化の違いはありましたか?

冨田氏:渡米したばかりのときに驚いたのは、親が自分の子どもの自慢を平気でするんですよ。例えば世間話で、「かわいいお子さんね、何歳なの?」と話しかけられると、「彼は今4歳で、空手がとっても得意なのよ」などと普通に言うんです(笑)。それから、小さい子が絵を描いたとしますよね。申し訳ないけど、誰が見てもただの書きなぐりですよ。それを額に入れて、タイトルをつけて壁に飾ったりする。これは日本人はやらないなと(笑)。日本には、自分から自分のいいところをバンバン言うのははしたない、という風潮があるじゃないですか。一般論として、日本人は国際舞台で自己主張するのが下手だと言われたりするけれど、そういう文化が影響している可能性はありますよね。まぁ今の世界情勢を見ていると、激しく自己主張するアメリカの文化のほうがいいとも一概には言えませんが。


アメリカでの子育て時代

石井氏
―子育てについてさまざまな悩みを持つ親御さんたちへ、メッセージをお願いします。

冨田氏:結局、子育てに正解はないと思います。何千年もの人類の歴史の中で、全ての親が悩み続けてきたわけですが、何が正しいか未だに誰にも分からない。仮に教科書みたいなものがあったとしても、その通りにやったからといって、子どもが思い通りに育つとは限らないですしね。だからまずは親自身が「生まれて来た意味」や「自分にとって幸せとは」といった人生の本質を、時折じっくり考える。現代人は大人も子どもも日々やることが山のようにあって忙しいのですが、たまに「何のためにやっているのだろう」と立ち止まり、その先にあるものを眺めて深く考えることが大切なのです。目先の点数や世間体に右往左往せず、自分ならではの生き方、その子ならではの生き方とは何か。それを子どもと一緒に考えて、自分たちなりに腹落ちする答えを探していく。もちろん正解は一生分からないし、答えは年齢とともに変わってもかまわない。でも、人に言われたからではなく、本当に腹落ちしてやっている人は、ぶれないし少々のことではへこたれない。仮に失敗したとしても納得して次に生かすことができる。そしてそういう人は周りから信頼され、結局は自分自身の幸せにつながるのだと思います。

(聞き手/株式会社LOCOK代表取締役、金沢工業大学虎ノ門大学院准教授 石井大貴)

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