
2022年北京五輪スノーボード男子ハーフパイプで悲願の金メダルを獲得し、日本中を沸かせた平野 歩夢(あゆむ)選手。兄の英樹(えいじゅ)選手は当時最年少12歳でプロスノーボーダーになり、弟の海祝(かいしゅう)選手は歩夢選手と共に北京五輪に出場するなど、それぞれ日本スノーボード界をけん引する活躍を見せています。その平野三兄弟の父である平野 英功氏に、子どもたちの練習環境を整えるためにスケートパークを作ったエピソードや、子どもの夢を応援する上で大切な親の心構えなどについて伺いました。

平野 英功さん
新潟県出身。大学時代に出会ったサーフィンに魅了され、卒業後に勤めていた会社を辞めて、サーフショップを営みながらプロサーファーを目指す。子どもが生まれてからは、子どもをプロサーファーもしくはプロスノーボーダーにすべく奮闘。平成14年、日本最大級の屋内スケートパーク「日本海スケートパーク」を開設。同施設の老朽化に伴い、平成30年に閉鎖し、翌年には公共の「村上市スケートパーク(現在:ブルボンスケートパーク村上)」が作られた。令和4年、JOC日本オリンピック委員会スケートボードハイパフォーマンスディレクターに就任。
追いかけた夢が子どもにシンクロ
石井氏
―平野さんは以前サーフショップを経営されていて、お子さん達にも最初はサーフィンをやらせていたそうですね。そもそも、ご自身はどんなきっかけでサーフィンを始めたのですか?
平野氏:サーフィンとは、大学生のときに北海道の浜厚真という海で出会いました。当時私は19歳だったと思います。それからすっかりはまってしまい、社会人になってもサーフィンの面白さが忘れられず、仕事も手につかないような状態に。ついには「プロサーファーになりたい」と思うようになり、勤めていた会社を辞めて、サーフショップを経営しながら毎日サーフィンをしていました。長男が生まれてからは、よく一緒にお店の前の海に連れて行きましたね。次男の歩夢も、小さい頃は一緒にサーフィンをやっていました。

サーフィンをする平野さん(左から二番目)と幼い頃の平野三兄弟たち
石井氏
―サーフィンのどんなところに魅了されたのでしょうか?
平野氏:単純に、かっこよくて。それで実力も伴っていないのに、プロサーファーになろうと思っちゃったんですね。私、子どものころから「かっこいい!」と思うと、とことんはまってしまうんです。例えば、小学生の時にはジャッキー・チェンに憧れ、本気でジャッキーになろうとして、毎朝4時にお寺でお祈りしながらバク宙をしたりして(笑)。お寺の住職も、私があまりに真剣なので注意できなかったのでしょうね。それから四年生になると「キャプテン翼」にはまってサッカーを始め、中学の時に新潟県大会で優勝したり、高校では「明日のジョー」の影響でボクシングを始めて県チャンピオンになったり。形は変えながらも、ずっと夢を追いかけていました。サーフィンも、その延長線上にあったという感じです。
石井氏
―プロサーファーを目指していた平野さんが、お子さん達をプロスノーボーダーにしたいと思うようになったのはなぜですか?
平野氏:私はそれまでずっと自分の夢を追いかけていたわけですが、子どもが生まれると、今度はその夢が子どもにシンクロして、「子どもをプロサーファーにしたい」と思うようになりました。ところが、ある日、長男が海で溺れてしまって。そのせいで長男はサーフィンが嫌いになり、その代わりにお店の前でスケートボードをして遊んだり、冬はスノーボードをしに行くようになりました。当時、お店ではサーフボード以外に、スケートボードやスノーボードの用品も扱っていたので。それからは、私も「子どもをプロスケーターかプロスノーボーダーにしたい」という気持ちになっていきました。ちなみに、サーフィンとスケートボード・スノーボードは共通点も多くて、大きな枠組みで見るとほとんど同じというぐらい似ているんです。
子どもたちの練習拠点を自ら設立
石井氏
―「日本海スケートパーク」を作ろうと思った経緯を教えてください。
平野氏:子どもたちが本格的にスノーボードをやるようになり、初めのうちは私も一緒に遠くまで練習に行っていました。ところが、私が会社を辞めてサーフショップを経営しているような状況でしたので、そのうちお金がなくなって、人と同じような練習ができなくなってきたんです。「あの子はオーストラリアで練習している」とか、「誰だれはどこで何日間もキャンプしているらしい」などと聞いても、私たちには同じことはできない。それなら「人と比べられない環境」を作ろうと思い、地元にスケートパークを作って、そこでスノーボードの練習ができるようにしようと考えました。そうして、約800万円の借金をして旧市民会館の体育館を改装し、平成14年に「日本海スケートパーク」を作りました。


手作りで作り上げた「日本海スケートパーク」/スケートボードの練習をする子どもの頃の歩夢さん
石井氏
―施設をオープンした当初は、大変なことも多かったのではないですか?
平野氏:そうですね。借金をして作った上に、維持・管理にもお金が掛かるので、本当に大変でした。借金の返済を少しずつ待ってもらったり、いろいろと工夫したりしていましたが、とにかく時間とお金がなくて、私自身も心の余裕が全くありませんでした。正直、当時は子どもどころではなかったです。毎日、ひたすら目の前のことを一生懸命やるしかない。ほかに選択肢もないという状況でした。でも、振り返ると、あの時期があったから私自身も成長できたのかなと思います。一度、何もない状態になったことで、周りにいるたくさんの良い方たちと出会うこともできましたしね。
石井氏
―ご自身に余裕がなかった時期には、お子さんたちの練習もあまり見てあげられなかったのでしょうか?
平野氏:はい。でも、子どもたちにとってはそのほうが良かったようです。私が子どもたちを指導していたときは、自分の分身を作っているような感覚でした。子どもが走っている横を自転車で並走しながら、「がんばれ!」「もっと速く!」なんてメガホンで叫んでいるような。そうすると、子どもは親の喜ぶ顔を見たいから一所懸命やる。だから、ある程度うまくなるのは当然なんですよね。それなのに私は、「自分の教え方が上手いのだ」と勘違いして、今思えば変なプライドを持ってしまった。次第に、他の親との見栄の張り合いになり、いつの間にか子どもが親のおもちゃのようになってしまって。子どもたちの心もだんだん不健康になり、良いパフォーマンスができなくなってしまいました。それで、「私自身が変わらなければ」と思い始めたころに、ちょうど施設の運営のほうが大変になって、子どもに構っていられなくなったのです。そのタイミングが重なったことが、結果的にはすごく良かったのだと思います。
石井氏
―平成31年には「村上市スケートパーク(現在:ブルボンスケートパーク村上)」がオープンしました。この施設の中には、スケートボードの練習場だけでなく、ボルダリングやスラックラインなどもありますよね。その理由を教えてください。
平野氏:「村上市スケートパーク(現在:ブルボンスケートパーク村上)」自体は村上市が作った公共のものですが、レイアウトなど微力ながら私がアドバイスさせてもらっています。スケートボード、ボルダリング、スラックラインなどのバランスを取る運動は、足の裏からの刺激で脳の発達を促したり、コーディネーション能力を鍛える上でも大変有効だということが最近の研究で分かってきています。また、私はよく「感覚の貯金」と言うのですが、いかに小さい頃からバランス感覚を鍛えるかが重要だと思っていて。例えば、私の長男は、小学校1年生からスケートパークでの練習を始めましたが、このとき次男は4歳。次男に聞くと、最初から歩くのと同じ感覚でボードに乗っていたと言うのです。彼にとっては、「練習」というイメージではなく、「習慣」だったと。そういう感覚的な部分は、始めるタイミングが大事だと思うので、小さい時から遊びながらバランス感覚を育めるようなボルダリングやスラックラインの施設を作りました。
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「村上市スケートパーク」のアリーナ全景(上)/ボルダリング施設(下)(出典:村上市観光協会HP)
子どものときしか持てない「夢」を大切に
石井氏
―食事・睡眠・しつけなど、お子さんたちの幼少期にご家庭で大切にしていたことはありますか?
平野氏:いろいろな方に聞かれるのですが、私の場合は、会社を辞めたタイミングで子どもが生まれたりしてとにかく余裕がなかったので、残念ながらお話しできるようなことがあまりないのです。その中でも私が大切だと思うのは、親である自分が成長し続けることかなと。なぜなら、私自身が子どもによって成長させられたといっても過言ではないと思っているからです。
石井氏
―子どもによって成長させられたとは、具体的にはどういうことでしょうか?
平野氏:我が家には、長男・次男・三男がいます。オリンピックで金メダルを獲ったのは次男ですが、それ以前に、長男が富士山の八合目まで登ってくれたと家族はみんな思っています。私は長男に対して、「がんばれ!」と言い続け、本人がまだ言葉の意味も分からない頃から「オリンピックに行くぞ!」と言わせたりしていました。練習後の車内でも、彼は助手席に座って私の説教をこんこんと聞いていた。だけど、そういうやり方では、そのうちに心が不健康になってくるんですよ。私も、「このままじゃだめだ」と思うようになって、親として少しずつ変わって成長していき、そのおかげで次男が金メダルを獲れるようになったのかなと。だから長男に対しては申し訳ない部分もあるのですが、今では彼も人の気持ちが分かる心の優しい良い指導者になってくれて、とても嬉しく思っています。
石井氏
―これからスポーツを通じてお子さんにいろいろと学んでほしいと思っている親御さんに向けて、メッセージがあればぜひお願いします。
平野氏:私は、夢というのは、子どもの時にしか持てないものだと思っています。成長して大人になるということは、現実がわかるようになるということなので。だからこそ、子どものときしか持てない「夢」を大切に育んでほしい。そのためには、親も夢を持てるような社会になればいいなと思っています。やっぱり親自身が夢を追いかけていないと、子どもに背中を見せられないですから。それが私自身の課題でもあります。夢を叶えるには、近道はないと思うのです。近道をしようとすると、ときにはズルになってしまうこともありますしね。私自身、何度も壁にぶつかりながら、パッションだけでやってきました。まずは親自身が失敗を恐れずに、行動を起こすことが大事なのではないでしょうか。
(聞き手/株式会社LOCOK代表取締役、金沢工業大学虎ノ門大学院准教授 石井大貴)