会報誌

「運動は全然だめ」だった幼少期から2大会連続世界陸上へ! ~競歩日本代表 梅野 倖子さんインタビュー~

正確な歩形をキープしながら、過酷なレースを戦い切る「競歩」。日本は競歩大国とも呼ばれ、今や多くの日本人選手がオリンピックや国際大会の表彰台に上るようになりました。そんな競歩界において、日本の次世代エースとして注目されている梅野 倖子さんに、運動が苦手だった幼少期や競歩との出会い、スランプの乗り越え方、9月に東京で開催される世界陸上への意気込みなどを伺いました。

 

競歩日本代表 梅野 倖子さん

梅野

福岡県出身。高校1年生から競歩を始める。2023年7月、第25回アジア陸上競技選手権大会にて銅メダル獲得。同年8月、第19回世界陸上競技選手権大会に出場。同年9月、第19回アジア競技大会にて4位入賞。2024年9月、全日本学生選手権で優勝。2025年3月、日本選手権35km競歩で優勝し、9月に東京で開催される世界陸上競技選手権大会へ2大会連続での出場を決めた。

バスケ一家に生まれて 高校で陸上に転向

石井氏
―梅野さんが競歩を始めたのはいつからですか?

梅野氏:高校1年生のときです。陸上部に入るのと同時にすぐ競歩を始めました。私は中学までバスケをやっていたのですが、最初の自己紹介でその話をしたところ、当時顧問だった先生から「じゃあ競歩をやってみて」と言われて。入部翌日には、「インターハイ予選にエントリーしたから出てね」と(笑)。半ば強制的に、数週間後に迫った福岡県の地区大会に出ることになったのが競歩を始めたきっかけです。

石井氏
―顧問の先生は、どうして梅野さんに競歩が合うと思ったのでしょうか?

梅野氏:あとから聞いた話では、私が入部する数年前に、中学までバスケをやっていて高校から陸上を始めた先輩がいたらしくて。その先輩に競歩をやらせてみたら、高校3年生のときにインターハイ8位入賞という良い結果を出したそうです。そういう前例があったので、バスケと聞いて「それなら競歩をやらせたらいいんじゃないか」と。今となっては、先生が私の適性を見抜いてくれて本当に良かったです。

石井氏
―陸上の前はバスケをされていたということですが、バスケはいつからどんなきっかけで始めたのですか?

氏:本格的に始めたのは小学4年生からです。実は、父方の家族がみんなバスケをやっているバスケ一家なんです。父も、父の姉や弟もバスケをしていたし、祖父は福岡県のバスケットボール協会の副会長を務めていました。そんな環境だったので、私も自然とバスケに興味を持ちました。ある日、小学校の図書室でバスケのルールの本を借りて帰って、父に「私もバスケがしたい」と言って始めることに。それまでは、習い事はピアノとそろばんだけで、スポーツは一切やっていませんでした。

バスケをしている小学生のころの梅野さん

石井氏
―競歩に必要な強い心肺機能は、父方のご家族の遺伝でもあるのでしょうか? やはり梅野さんも小さいころから運動神経がよかったのですか?

梅野氏:私は、子どものころは運動は全然だめでした。小学校1年生の運動会では、50mのかけっこで何もないところで転ぶし、よくある体力テストのシャトルランは、3年生になっても十数回しかできませんでした。もともと体力があるわけでも、足が速いわけでもなく、どちらかというとどんくさい方だったと思います。結局バスケは中学まで続けましたが、体も小さくて細かったので、試合では全然使ってもらえなくて。バスケ自体が嫌いになったわけじゃないけど、もういいかなと思って高校では陸上部に入りました。

自己ベストを1年で10分短縮 高3で大きな挫折も

石井氏
―話を戻しますが、高校に入ってすぐにインターハイ予選に出場されて、結果はどうでしたか?

梅野氏:結果は、6人中6位でした。でも、6人までは福岡県大会に行けるというルールだったので、自動的にまた2週間後の県大会に出ることになって(笑)。その県大会で、最初の地区大会のときよりもタイムが2分縮まったんです。タイム自体は決して早くはなかったものの、前回より大幅に縮まったことがうれしくて、「これはもしかしたらいけるのではないか」という手ごたえを感じました。一方で、自分のタイムはこんなに伸びたのに、まだまだ上には上がいるのだなと。順位も9位で、入賞ラインである8位まであと一歩届かず、悔しい気持ちもありました。

石井氏
―自信と悔しさの両方を感じたことで、「もっとやりたい」という気持ちが芽生えたのですね。その後は着実に成長していったのでしょうか?

梅野氏:その後も、試合に出るたびに着々とタイムが縮んでいきました。7月には県大会で3位入賞して初めて表彰台にのぼり、8月には新人戦で準優勝。9月には、初めて県外の試合にも出場しました。さらに12月の試合で初めて24分台を出し、翌年2月のU20日本選手権への出場を決めました。U20日本選手権はインターハイと同じぐらい大きい大会なのですが、私は8位になり、1年生で唯一入賞することができました。このときのタイムは、23分08秒でした。結局、競歩を初めて最初の一年間で、自己ベストが約10分縮みました。

石井氏
―お話を聞いていると順調そのもののようですが、高校時代に挫折などはあったのでしょうか?

梅野氏:一回だけ、高校3年生のときにありました。この年はコロナ禍でインターハイが中止になってしまい、その代替として小規模な全国大会が行われました。私は高校2年生のおわりごろからずっと全国ランキング1位だったのですが、この大会にはランキング2位の同級生も出ていて、この日もずっと二人で争っていました。ラスト一周で私が前に出て、2位の子との距離をかなり離したので、「絶対優勝できる」と確信していたんです。ところが、ラスト100mで、その子がものすごい勢いで追い上げてきて。ラスト100mは、反則があると一発失格になってしまうので、焦ってはいけない。でも、絶対に負けたくない。そんな葛藤の中で必死に歩いたのですが、本当にコンマ何秒の差でその子が先にゴールしてしまいました。しかも、ゴール後に、結局二人とも最後の100mで失格になっていたことがわかったのです。このときは、精神的に本当につらかったです。応援してくれた同級生や顧問の先生、両親にも申し訳なくて。

石井氏
―もし失格せずに落ち着いてゴールしていたら、自分が優勝していたかもしれないという思いもありましたか?

梅野氏:そうですね。あとでライブ配信を見返したら、自分は途中までいつも通りの歩き方をしていたので、焦らなければ失格にならずにゴールできたと思います。最後の最後で相手にのまれたというか、自分の冷静さを失ってしまったことが悔しかったです。でも、このときの経験がばねになったのか、その1カ月後の試合で、当時の高校歴代3位の記録を出すことができたので、あのとき応援してくれたみんなにも少しは恩返しができたのかなと思います。あの試合以降、どんなときでも絶対に気を抜かず最後まで丁寧に歩く、という意識がさらに強くなりました。

着実にタイムを縮めていた高校時代の梅野さん

両親からの金言は「初志貫徹」と「楽しむこと」

石井氏
―ご両親から言われたことで印象に残っている言葉などはありますか?

梅野氏:父からはずっと「初志貫徹」という言葉を大切にするようにと言われていました。最初に自分がこれと決めたら、途中でやめるのは絶対にだめだと。今も、競歩でオリンピックに出ると決めた以上、出て結果を残すまで諦めるなと言われています。母からは、「楽しむことを一番に」といつも言われていますね。実は私がスランプに陥ったときも、「競歩、本当に楽しくてやってる?」と指摘されて。「嫌々やっていたらできることは何もないと思うよ」と言われました。

石井氏
―大学3年生のときにはアジア選手権、世界選手権、アジア大会のすべてに出場されたのですよね。それでも競歩が楽しくなくなった時期があったのですか?

梅野氏:はい。特に大学4年生の一年間は、私にとってつらい時期でした。パリ五輪の出場を掛けた予選で、レース中に熱中症と脱水になってしまい、思うような結果が出せなくて。それから数カ月は、試合に出ても結果は良くないし、自分のベストタイムも出せないし、「もう練習したくない」とまで思い詰めてしまいました。そのとき母に「本当に競歩が好き?」と言われてはっとしました。そこで、とりあえず練習を一週間休んで、好きなものを食べたり、ひたすら本を読んだりしました。すると、だんだん「歩きたいな」と思えるようになってきて。それから徐々に練習を再開して、9月の日本インカレでは優勝してタイトルを獲ることができました。やっぱり記録が伸びるとうれしいし、「もっとやりたい!」という思いが出てきますね。

石井氏
―読者の皆さんに競歩の魅力を伝えるとするなら、どんなふうに伝えたいですか?

梅野氏:競歩って、「歩き方がダサい」とか「陸上の中でもマイナーな競技でしょ」というイメージがあるかもしれません。でもやっぱり競歩には競歩の魅力があります。いかに丁寧にきれいな歩形で歩くか。そして、その中でいかに早く歩けるかを追求するのが競歩の魅力だと思います。最後まで丁寧に歩かないと、昔の私のようにいつ失格になるかわかりません。20kmや35kmという長い距離を歩くので、その中で一瞬たりとも緊張の糸が切れないようにしないといけない。精神力の強さが必要なのです。日本は競歩が強い国なので、今後は競歩人口をもっと増やして、「日本で陸上といったら競歩」と言われるぐらいまでにしたいです。

次世代のエースとして日本競歩界を引っ張る梅野さん

石井氏
―その第一歩が9月に東京で開催される世界陸上になりますね。初日の9月13日に競歩のレースがあります。どんなところに注目してほしいですか?

梅野氏:マラソンと同様に競歩も、誰でもふと立ち寄って沿道で見ることができる種目です。特に競歩は、競技場周辺の同じところをぐるぐると歩くので、何回も応援できます。マラソンと違って、一回見たら次の場所に移動しなければいけないということもなく、何回でも見られるのは競歩ならではの魅力の一つだと思います。沿道で「梅野頑張れ」と言っていただければ、私にとってもすごく大きな励みになるので、ぜひ温かい声援をお願いします!

(聞き手/株式会社LOCOK代表取締役、金沢工業大学虎ノ門大学院准教授 石井大貴)