
年齢や性別を問わず世界中で親しまれている「卓球」。一方、競技としては技術・体力に加えて優れた反射能力や動体視力を要求される高度なスポーツです。昨年のパリ五輪では、女子団体で銀メダル、女子シングルスで早田 ひな選手が銀メダルを獲得し、日本中が熱狂しました。そんな卓球界で、男女通じて日本史上初の五輪メダリストとなった平野 早矢香さん。ご自身はどんなお子さんだったのか、トップ選手にのぼりつめるまでの過程、そして育児と仕事の両立に奮闘する日々などについてお話を伺いました。
北京・ロンドン五輪 卓球女子 日本代表 平野 早矢香さん
栃木県出身。5歳で卓球を始め、仙台育英学園秀光中学校・同高等学校に進学。卒業後ミキハウスに入社、18歳で全日本卓球選手権初優勝。2007年度から全日本選手権3連覇達成、通算5度の日本一に輝く。北京五輪にて団体戦4位、ロンドン五輪にて団体戦銀メダルを獲得。世界選手権に14大会連続出場し、2014年東京大会では団体戦にて銀メダルを獲得。2016年4月に現役引退。現在は子育てをしながら、後進の指導、講演会、解説など幅広く活動中。
12歳で親の反対を押し切って強豪校へ進学
石井氏
―平野さんご自身はどんなお子さんだったのでしょうか?
平野氏:子どものころから、性格的に負けず嫌いな部分はありましたね。卓球に限らず、小学校のマラソン大会とか、縄跳びで何分跳べるかとか、そういう「競争」の要素が入ったときには、一番になりたいという気持ちが強いタイプでした。ただ、運動能力がずば抜けて高かったかというと、実はそういうわけでもなくて。体力測定の結果は良いほうだったとは思いますが、じゃあマラソン大会で1位になれたかというと、いつも自分より身長の高い子に負けてしまって2位止まり。毎回悔しい思いをしていました(笑)。
石井氏
―卓球を始めたきっかけは何だったのですか?
平野氏:両親が卓球をしていたので、私も自然と興味を持ちました。はじめはあくまでも習い事の一つとして、趣味の延長線上でやっていました。それがトップを目指そうという心境に変わったのは、小学校2年生のとき。全国大会で2位になったのをきっかけに、「やっぱり優勝したい!」という気持ちが芽生えました。結局、小学校の6年間では達成できなかったのですが、「日本一になりたい」という思いがどんどん強くなって。そこで、親元を離れて、仙台育英学園秀光中学校(仙台市)に進学することにしたんです。当時栃木には卓球の強豪校がなかったので、このまま栃木に残っていては、自分の目標である日本一は達成できないだろうと。両親の反対を押し切って、仙台に行ってしまいました。
卓球の練習をする小学2年生の平野さん
石井氏
―わずか12歳で親元を離れるとは、すごい決断ですね! ご両親は当時、何とおっしゃっていましたか?
平野氏:やはり厳しいことも言われましたよ。「今まで自分で洗濯や掃除をしたこともないのに、中学校に行ってそれができるの?」とか、「強い学校に行ったら、レギュラーになれるかどうかもわからないよ。栃木に残っていればレギュラーにも簡単になれるのに」とも言われました。でも、あとから聞いたところによると、両親も「この子は言い出したら聞かないだろうな」と思っていたそうです(笑)。
「集中力がすごい」「目が違う」と言われた現役時代
石井氏
―反対を押し切って中学に行ったあと、ホームシックになったりしませんでしたか?
平野氏:それはなかったですね。好きなだけ卓球ができてうれしい、という気持ちのほうが強かったです。文武両道の学校だったので、学校側が家庭教師もつけてくれて、卓球だけでなく、勉強の時間もきちんと確保していました。それでも、小学生のときと比べて練習時間も長くなったし、練習後も好きなだけ自主練習ができるのがうれしくて。最初の一年は練習のしすぎでけがをしてしまったほどでした(笑)。
石井氏
―本当に卓球が大好きだったのですね。卓球の一番の魅力はどんなところでしょうか?
平野氏:卓球は、技術や運動能力に加えて駆け引きが重要なスポーツなので、がんばって工夫をすれば、自分よりも体格がいい人や年上の人にも勝つことができる。そこに面白さを感じていました。私自身、どの技術も悪くはないけど、何か突出した技があるわけでもない。だから、自分のエースボールで決めるというより、相手のやりにくいところを突いたり、相手のメンタルを崩すことばかり考えていました。試合の相手からは、「さやかちゃんと試合をしていると、いつの間にか負けている。何で負けたのかわからない」と言われることが多かったですね。
石井氏
―それは相手からすると一番怖いかもしれませんね。ご自身ではどんなところが一番の強みだったと思いますか?
平野氏:監督や仲間からは、「集中力がすごい」とか「目が違う」と言われていました。自分では、自分がやりたいことや達成したい目標のために何をするべきかを考えていただけで、特に集中力がどうということはあまり意識していなかったのですが。集中するとよほど険しい顔をしていたのか、現役時代は「鬼の平野」なんてよく呼ばれていました(笑)。
最高の幸せを感じた超満員の引退試合
石井氏
―目標を持つことの重要性について、誰かから教わったりしたのですか?
平野氏:誰かから特に「目標を持ちなさい」と言われたことはないですね。小さいころの記憶でいうと、とにかく同世代の中で日本一になりたい。でも、6年間頑張ったけど達成できなかった。じゃあ、今度は中学高校の6年間で達成できるようにがんばろうと。そして、高1で初めて日本一になったあとは、次は世界の舞台で活躍できるような選手になりたいと考えていました。そういう目標はいつも明確に持っていましたけど、誰かにうながされたわけではないです。ただ、その目標に向かって何をすべきかブレイクダウンする過程では、いろいろな方がアドバイスをしてくれました。現役時代はどうしても視野が狭くなりがちなので、周りの指導者の方がさまざまな角度から指導してくださったことはとてもありがたかったですね。
石井氏
―卓球をしていて一番うれしかった出来事は何でしたか?
平野氏:引退するときに、想像以上にたくさんの方が私の競技人生を応援してくれていたことに気づいて、あぁ自分はすごく幸せだったんだなと感じました。私の同世代には、福原 愛ちゃんという卓球界の大スターがいて、当時愛ちゃん二世と言われた石川 佳純ちゃんがいて。ロンドン五輪で団体のメダルは獲りましたけど、別に私が目立っていた感じでもなかったので、「私の引退なんて、興味ある人いるのかな?」と思っていたんです(笑)。それが、引退発表後に、本当に多くの方から連絡をいただいて。自分が夢中になって高みを目指している過程を、こんなに多くの人が応援してくれていたんだなと気づくことができました。自分が卓球をしている価値みたいなものを、違う角度から感じられた瞬間だったと思います。
石井氏
―日本一になったときでも、オリンピックでメダルを獲ったときでもなく、引退するときに最高の幸せを感じたと。とても素敵なお話ですね。
平野氏:引退試合は佐賀にある小さな体育館での大会だったにも関わらず、本当に大勢の方が見に来てくださって。あの光景には本当に感動しました。それから、少し時間が経って今思うことは、卓球をしていなかったら、こんなにたくさん海外のお友達はできなかっただろうなと。私、現役時代に39カ国もの国々に行ったんですよ。だから、世界各国にお友達や卓球関係の知り合いがいるんです。いろいろな国の方と交流し、多様な文化に触れられたことは、自分の人生においてとても良い経験になりました。そのおかげで、日本の良さについても客観的に理解することができたと思います。
親自身がハッピーでいるために「抱え込みすぎない」
石井氏
―今、二歳のお子さんの子育てをしながらお仕事もされています。アスリート時代とは生活も変わりましたか?
平野氏:アスリートの生活は、極端な言い方をすれば、100%自分中心です。自分が強くなるために、栄養や休養をしっかりとって、規則正しい生活を送る、周りが自分に合わせてくれるといった生活ですね。でも、今は100%娘中心で、そこに自分が合わせるという、アスリート時代とは真逆の生活を送っています。仕事にしても、なかなか思うようにはできないですし、進まないですよね……。ですので、今まで一日でできていたことが一週間ぐらいかかるというマインドに切り替えました。はじめは戸惑いもありましたが、そこは考え方を変えて、自分を納得させながら子育てと仕事を両立するようにしています。
小学生向けイベントで子どもたちを指導する平野さん
石井氏
―忙しい毎日の中で、どんなことを意識しながら過ごされていますか?
平野氏:自分に娘ができて初めて、子育ての現実的な大変さを実感しています。例えば、はたから甥っ子や姪っ子たちを見ているのとは違う、日常の葛藤や難しさがありますよね。特に子どもが小さいうちは、日常的にいろいろなことに追われてしまうじゃないですか。私自身も、毎日バタバタしていて、一日が終わるころには白目になっていることも(笑)。でも、今しか味わえない幸せというのもあるはずなので、この大変なときこそ、幸せを感じる時間を少しでも作れるといいなと思っています。
石井氏
―大変な中でも、お父さんお母さん自身がリラックスできるような環境が必要なのかもしれませんね。平野さん自身が工夫していることなどはありますか?
平野氏:私は「自分で抱え込みすぎない」ということを一つのキーワードにしていて、夫や両親、友達にもなるべく頼るようにしています。一つのやり方にこだわりすぎると、自分が苦しくなってしまい、結果的に子どもに対してもあまり良い影響はないと思うのです。親自身がハッピーでいられるように、周りの人の助けを借りることも大切です。最近、私もやっと一人保育園でママ友ができたんです。この間初めてLINEを交換して、「今度、公園行きましょう」なんてやりとりをしています。いろいろな情報を周りの方と共有できるのっていいですよね。世の中の子育て中のお父さんお母さんにも、「力を合わせて頑張りましょう!」とメッセージを送りたいです。
(聞き手/株式会社LOCOK代表取締役、金沢工業大学虎ノ門大学院准教授 石井大貴)