
跳馬や平行棒などの器械において演技を行い、技の難度や美しさなどで得点を競う「体操」。昨年のパリ五輪では、男子団体で金メダル獲得、女子団体で8位入賞を果たし、日本中が大いに盛り上がりました。そんな体操競技でアテネ・北京五輪に出場し、通算8度の世界選手権出場を果たすなど、長きにわたり日本女子体操界を牽引してきた大島 杏子さん。現在は指導者として活躍している大島さんに、ご自身の幼少期や目標を持つことの大切さ、子育て中の親御さんへのメッセージなどを伺いました。
アテネ・北京五輪 女子体操 日本代表 大島 杏子さん
6歳から体操を始め、アテネ・北京五輪に出場。北京五輪では、ロサンゼルス五輪以来となる団体総合での5位入賞に貢献、個人総合でも決勝進出を果たす。通算8度の世界選手権出場は、日本女子最多記録。2012年に現役を引退し、現在は指導者として活躍中。
教え子と一緒にオリンピックに行くのが夢
石井氏
―現在、指導者としてどんな活動をされているのですか?
大島氏:2012年に現役を引退してすぐに指導者の道に進み、11年間、体操クラブで選手クラスや一般クラスの子どもたちを指導していました。現在は、スポーツ庁主管のアスリート全国派遣プロジェクト「アスリーチ」に参加していて、全国各地の学校を訪問して体育の授業をする活動をメインにしています。それに加えて、いろいろなお子さんたちに向けた体操のプライベートレッスンを行ったりもしています。
アスリーチ」の活動で幼児を指導する大島さん
石井氏
―指導者になろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
大島氏:現役時代から、「教える」ということに興味がありました。もともと、小さいころから「オリンピックに出ること」と「指導者になって、指導した子とオリンピックに行くこと」という二つの夢があったんです。ですから、自然に指導の道に入っていった感じでした。実は、私が体操を始めた年長から小学3年生まで教えてくれていた先生も、ご自身がオリンピックに出場した方で。その姿を見ていて、「私も(当時教わっていた)先生のようになりたいな」という思いが必然的に出てきたのだと思います。
石井氏
―実際にご自身の教え子でオリンピアンになった選手はいらっしゃいますか?
大島氏:少しだけ指導に携わった子がオリンピックに行ったことはありますが、自分が一から育ててというのは、まだこれからですね。今は、先ほどもお話した「アスリーチ」の活動がメインなので、どこかの体操クラブに所属して指導しているわけではなく、「選手を育てる」ということからは少し離れている状態です。選手の指導ももちろんやりがいがあるのですが、「もっといろいろな人に体操を知ってもらいたい」という思いもあって。私の授業がきっかけで、体操に興味を持ち始めたと言ってくれる子もいるので、今はそれが一番のやりがいになっています。いずれはオリンピック選手を育てたい、という根本の夢は変わっていないので、今はそのために自分ができることの幅を広げているという感じです。
最後は「負けず嫌いな子」が勝つ
石井氏
―大島さんは、審判の資格もお持ちなのですよね。
大島氏:はい。国内と国際、両方の審判資格を持っているので、いろいろな大会で審判をやっています。全日本選手権やNHK杯の審判をしたり、コロナ前はカナダの大会に日本の帯同審判として参加させていただいたりもしました。審判として見ていると、「この選手の技のさばき方は面白いな」とか「こういう技術もあるんだ」とか、すごく勉強になります。試合前に選手たちがアップしているところを見ているだけでも面白いんですよ。トレーニングや練習方法、先生の声掛けの仕方など、学ぶことがたくさんあって、いずれ選手を育てるときに生きてくるだろうと思いながら見ています。
石井氏
―選手として伸びるのはどんな子だと思いますか?
大島氏:オリンピックに出るとか世界で戦うとなると、もちろん人間性もすごく大事ですけど、その中でも「絶対負けたくない」という気持ちを持っている選手が最後は勝つのかなと思います。優しい子って、いざというときにその優しさが出でしまうんですよね。最後の最後まで競って、0.1点を争うようなぎりぎりの勝負になったときには、やはり負けず嫌いな子のほうが勝つのではないかと私は思います。
石井氏
―ご自身も負けず嫌いなお子さんでしたか?
大島氏:
はい、それはもう(笑)。特に、自分と同じ体操クラブの子に負けるのが一番いやで。何が何でも根性出してやる、みたいなところはありましたね。同じクラブに私と同い年の子たちが5人いたのですが、全員が負けず嫌いで。一人が何かできるようになると、悔しがってほかのみんなもできるようになったり、そういう相乗効果がありました。ちなみに、同級生5人のうち、私を入れて3人がオリンピックに出ています。
子どもたちに体操の楽しさを伝える大島さん
日本代表という目標が最大のモチベーションに
石井氏
―大好きな体操が、楽しいだけではなくなった時期もあったのですね
大島氏:それまではいっぱいご飯を食べていたのに、急に食べられなくなってしまったのが辛くて。あと、中学生はジュニアの試合しか出られないので、ちょっと宙ぶらりんな状態になってしまい、なかなか目標が見つからない時期でもありました。それが高校生になると、シニアの試合に出られるようになって、「日本代表になる」という目標ができました。もちろん、体重管理は引き続き辛かったですが、「日本代表になるためだったら頑張ろう」と前向きに考えられるようになりましたね。そこからは、引退するまでずっと「日本代表」という目標が私の最大のモチベーションになっていきました。
石井氏
―オリンピックに出られるまでの道のりで、大きな挫折などはあったのでしょうか?
大島氏:一番の挫折は、中学一年生のときに椎間板ヘルニアを患ったことです。それまでずっと大きい怪我とは無縁でやってきたのが、一気に腰に爆弾を抱えるようになって。そこでふと、「自分はこのままでいいのかな」と自問自答するようになりました。小学生時代はちょっとわがままというか、とにかく自分がやりたいようにやればいいと思っていたんです。それが、腰をけがしたときに、このままだとちょっとまずいよな、と突然感じて。
石井氏
―けがをきっかけに、いろいろなことを考えるようになったのですね。
大島氏:この性格のまま大人になったら、強いうちはみんながちやほやしてくれるけど、引退したりだめになったときに、自分には何も残らないんじゃないかと。そこからちょっとずつシフトチェンジをしていきました。でも、さきほどお話ししたように、本当はちょっといじわるなぐらい負けず嫌いのほうが強いんですよね。私も、それまではここぞというときに大体決めていたのに、ここで決めれば優勝という場面で失敗してしまうようになって。先生にも「あなた、昔のほうが強かったじゃない」とよく言われていました。でも、「いじわるで誰にも好かれないよりは、失敗してもいろいろな人に好かれるほうがいいです」と先生に言ったこともあります(笑)。
「子どもたちの成長がうれしい」と語る大島さん
日本代表という目標が最大のモチベーションに
石井氏
―「昔のほうが強かった」とは言え、シフトチェンジした後も結果を出し続けられましたよね。それはなぜだと思いますか?
大島氏:やはり「日本代表に入りたい」という目標があったから、そこに向かって頑張れたのだと思います。なので、子どもたちにも、まずは目標を聞いて、そこから逆算して「それならこの練習をやっていかないとだよ」と伝えるようにしています。それって、アスリート以外でも大事なことだと思うのです。例えば、弁護士になりたいという夢があったとして、何にも努力せずに毎日ゲームばかりしていたら、弁護士にはなれないですよね。まず目標を決めて、そのためには5年後にどうなっていたいか?3年後はどうか?1年後は?半年後、1か月後、1週間後……と逆算していくと、今日一日の過ごし方も大事だよねと、子どもたちにはいつも話しています。
石井氏
―夢に向かって頑張るお子さんを持つ親御さんへアドバイスなどがあればお願いします。
大島氏:我が家に限った話かもしれませんが、私がやっている競技に関して、親は一切口を出しませんでした。「○○ちゃんはこれができるようになったのに、あなたはまだできないの?」というような圧を感じたこともなかったですし。全面的にサポートはしてくれるけれど、体操のことには口出ししない。私が失敗したときも怒ったりせず、「また次がんばろう」という感じでした。逆に成功したからといって大喜びするわけでもなく、淡々としていて。私が優勝してもしなくても、代表に入っても入らなくても、両親は常に同じでいてくれた。私としては、それがとてもありがたかったです。
石井氏
―親はあれこれ口を出すよりも、いつもあなたの味方だよということさえ示してあげられれば、それが一番のサポートになるのかもしれませんね。
大島氏:そうですね。実は引退してから聞いたのですが、オリンピックの応援に行くのにもものすごく旅費が掛かるそうなんです。でも、私は現役時代に親からそれを言われたことがなくて。「あなたのためにこうやっているのよ」というプレッシャーを掛けられることもありませんでした。そのおかげで、家に帰ればのんびりくつろげたし、「また明日もがんばろう」という気持ちになれました。体操教室で見ていると、親が熱心になればなるほど、子どもたちが首を絞められているように感じることがあるんですよね。熱を入れる親がだめというわけではないのですが、私としては「見守り型」もありなのかなと。本人がやりたいことを尊重し、見守ってあげるのが、子どもたちが一番のびのびできるサポートなのかなと私は思います。
(聞き手/株式会社LOCOK代表取締役、金沢工業大学虎ノ門大学院准教授 石井大貴)