会報誌

家族の大切な時間が多彩な語彙力と表現力につながる?【つくし会コラム】

今回は、新一万円札の顔となった渋沢栄一の幼少期について紹介します。

栄一は、1840年、現在の埼玉県深谷市の裕福な農家に生まれました。父親は教育熱心で、栄一が6歳の頃から漢文の手ほどきをし、7歳になると、栄一の従兄弟である漢学者のもとに通わせて、「四書五経」などを習わせました。幼い頃から学問に励んだ栄一は、家業の手伝いをしながら商才を磨いていきます。これが後に栄一を経済人として大きく成長させるもとになります。

教育熱心だった父親と栄一を象徴するエピソードがあります。朝食の時、父親に「今、何を読んでいるんだ」と聞かれた栄一は、「『論語』を読んでおります」と答えます。すると父親は「何か気に入った章句はあるか」と聞くので、栄一がこういう章句ですと答えると、「その章句をどういうふうに解釈しているの」と。「私はこのように解釈しております」と返すと、「それはいいね。でも、こういう解釈もあるぞ」といって新しい解釈を教えてくれたそうです。後に栄一は、「これが我が家の朝食の姿だった」と述懐しています。こうした親子の会話を通じて、栄一はさらに学びを深めていきました。

子どもの頃から無類の読書家だった栄一は、12歳の正月に年始廻りに出掛けた際、本を読みながら歩いてドブに落ち、晴着の衣装を汚してしまって母に叱られたこともあったそうです。多彩な語彙力と表現力によって「論語と算盤」などの著書を残すことができたのは、このような若き日の修練の結果だと考えられます。

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