会報誌

空手が「本当のかっこよさ」を教えてくれた 東京五輪日本代表 染谷 真有美さんインタビュー

日本古来の武勇を尊ぶ文化の中で発展してきた「武道」。心身を鍛えるだけでなく、人格を磨き、礼節を身に付けることができるなどの理由から、お子さんに武道を習わせてみたいと考えている保護者の方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回は、そんな武道の中でも、子どもの習い事として人気の高い競技の一つである「空手」について、東京2020オリンピックに出場し7位入賞を果たした染谷 真有美さんに、習い始めたきっかけや空手を通して学んだことなどを伺いました。

染谷 真有美氏 プロフィール

1993年5月30日生まれ。茨城県古河市出身。花咲徳栄高校、帝京大学卒業。5歳から空手を始め、兄の隆嘉、姉の香予と競技生活を続け、全日本強化選手として長年活躍。東京2020オリンピックでは女子組手61kg級に出場し、7位入賞。2023年に現役を引退。現在は、幼児から大人まで幅広い年齢層に空手の魅力を伝える活動を行っている。

家族との絆が自分自身の原動力になった

石井氏
―まずは、空手を始めたきっかけから教えてください。

染谷氏:私には、4つ上の兄と2つ上の姉がいます。その兄が、ドラゴンボールに憧れて「孫悟空みたいになりたい!」と言い出し、三人の中で最初に空手を始めることになりました。その後すぐに姉が一緒に道場に通うようになり、私も気が付いたら流れで始めることに。でも実は、最初は嫌で嫌で仕方がなかったんです。空手って、「戦う」というイメージが強いじゃないですか。それが怖くて、始めたばかりのころはよく練習中に脱走したりしていました(笑)。ただ、兄と姉の仲間に入れるというのはうれしかったですね。上の二人がいたおかげで、私も辞めずに続けられたのだと思います。

石井氏
―三人ともすぐに全国大会などで頭角を現し始めたのですか?

染谷氏:私が5歳で空手を始めた当時は、まだ全国大会がなく、地元の小さな大会にちょこちょこと出ているだけでした。厳しい練習に取り組むようになったのは、小学2年生のときに全国大会が開催されるようになってから。それまでは、地元のスポーツ少年団でボランティアの先生に教えてもらいながら、ゆるい環境で練習していました(笑)。ところが、あるとき試合に負けた兄が、父に「もっと強くなりたい」と言ったんです。その一言で父に火がつき、父と兄が自主練習を行うようになって、すぐに姉と私も一緒に練習するようになりました。父は空手未経験者だったのですが、独学で一生懸命勉強してくれて。平日は4時間以上、土日は6時間ほど、ほぼ毎日休みなく練習しました。そのうち試合でも勝てるようになり、兄弟揃って全国大会にも出られるようになっていきました。

石井氏
―本格的に取り組むようになって、空手に対する気持ちは変わりしましたか?

染谷氏:正直に言うと、本格的に取り組み始めてからも、「自分から楽しんでやっている」という時期はなかったと思います。でも、大会で少しずつ勝てるようになってきたころに、三人で一緒に勝つことのうれしさや、夢を叶えることの楽しさみたいなものを味わえるようになりました。あと、周りの方が「染谷三兄弟が強い」と言ってくれるようになって。この「染谷三兄弟」という響きが、自分も兄と姉の仲間に入れたという感じがして、すごくうれしかったんです。勝ち負けや「楽しい」という個人的な感情よりも、そういう家族との絆みたいなものが、自分自身の原動力になっていました。

混乱した東京五輪 「ありがとう」の声が支えに

石井氏
―東京2020オリンピックでは、女子組手61kg級に出場されました。一度日本代表に内定した後、コロナの影響で取り消しになったのですよね。

染谷氏:2020年3月に一度内定が出ていたのですが、コロナ禍でオリンピック自体が延期になったため取り消しになってしまいました。2021年4月に再選考を行い、改めて内定が出たのですが、その一年間は精神的にもとても苦しかったです。オリンピック本番までに練習できる時間が増えたこと自体はプラスにとらえていたのですが、本当に缶詰め状態で練習していたので、まさに修行のような一年でしたね(笑)。一年後の自分が戦える武器を作り、さらに今持っているもののパワーを全て底上げしなければならない。そのためにしっかりとプランを立てて、1日1日ノルマを達成しながら過ごしていました。

石井氏
―実際にオリンピックという夢の舞台に立ってみていかがでしたか?

染谷氏:オリンピックにはとても良い状態で臨めたものの、残念ながら予選リーグで敗退してしまいました。すごく夢のない話になってしまいますが、予選の1試合目で負けてしまい、「この日のために全てを掛けてやってきて、たくさんの人が応援してくれているのに、このまま終わってしまうのか」というショックがあまりに大きく、とても混乱してしまって。予選リーグは4試合あったのですが、2試合目で何とか立て直して1勝したものの、3試合目で勝つことができずに決勝進出がほぼ絶望的になりました。そういう状況だったので、4試合目は、勝ち負け以上に「自分が持っているものを出し切る」ということに専念しました。結果は残念ながら負けてしまいましたが、悔いのない戦いができたと思います。

石井氏
―終わったあとにご両親やご兄弟からどんな声を掛けられましたか?

染谷氏:無観客試合で行われていたので、家族も会場で直接見ていたわけではありませんでしたが、兄と姉は私の練習パートナーとしてずっと会場の近くの練習場にいてくれました。そして、試合後はひたすら「ありがとう」と言ってくれました。私からすると本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったのですが、「ありがとう」という声を掛けてもらえたことで、初めて自分のことを受け入れて前に進むことができたと思います。ですから、兄と姉には本当に感謝しています。両親はテレビの前で応援してくれていて、試合後に「結果は関係ない、ただオリンピックという舞台に立てただけで胸がいっぱいだよ」と言ってくれました。


東京2020オリンピックに臨んでいる染谷氏

空手を通じて教わった「本当のかっこよさ」

石井氏
―幼少期にご両親から言われて印象に残っている言葉などがあれば教えてください。

染谷氏:言葉で何か言われたわけではないのですが、経済的にも大変な中、私たちに時間もお金も掛けて、良い環境を与えてくれていることはすごく伝わってきました。うちは本当に道着も買えないぐらい家計が厳しかったので、道場の人からもらったお下がりを最初は兄が着て、それを母が縫って直して姉や私に着せてくれていました。父も、仕事で遅くまで働いたあとに私たちの練習に付き合うなど、できる限りサポートしてくれて。そんな両親の背中を見て、自然と「これだけしてもらっているのだから頑張ろう」と思いましたし、期待に応えたいという気持ちも強くなっていきました。

石井氏
―ご両親の期待に応えられたなと思った瞬間はありましたか?

染谷氏:これまでに3回ありました。一度目は、中学生のときに、形と組手の両種目で全国大会に出場したとき。二度目は、大学生になって、ドイツのブレーメンで行われた世界大会で3位になってメダルを獲得したとき。そして、両親が一番喜んでくれて、自分たち兄弟にとっても大切な思い出になったのが、三人全員がそれぞれ大学4年生のときにインカレの個人戦で優勝したことです。はじめに兄が優勝して妹たちに夢を与えてくれて、2年後に姉が、さらに2年後に私が優勝することができました。このときは両親も本当に喜んでくれましたし、一番の恩返しができたと感じました。

石井氏
―幼少期から空手をやっていてよかったと思うのはどんなことですか? また、小さい子ども達に空手を勧めたいですか?

染谷氏:私にとって空手は、ただスポーツをするというより、「自分を鍛えている」という感覚でした。そのため、正義感を持てるようになったことが良かったと思います。幼いころから空手を通じて「本当のかっこよさ」を教えてもらいました。例えば、名前を呼ばれたらはっきり返事をする、目を見て挨拶をしたり話を聞いたりする、物を大切にする、感謝を言葉で伝えるというようなことです。人として当たり前のことばかりですが、今でも継続していることが多いです。空手は格闘技なので、恐怖心がある子ややりたくない子に無理強いしたいとは思いませんが、興味を持ってくれた子にはぜひ勧めたいです。心身を鍛えることで、人としての強さと優しさを身に付けることができるからです。それは、勝ち負けよりも大切なことではないかと考えています。


空手の指導をする染谷氏

やりたいことは全力で! つらいときこそ“夢”を大事に

石井氏
―空手や他のスポーツを頑張っている子どもたちに、どんなことを伝えたいですか?

染谷氏:私は自分からやりたいと思って空手を始めたわけではないので、自分が好きなことややりたいことがある人は、それだけですごいことだと思います。なので、子ども達には「やりたいと思ったことは全力で頑張ってほしい」というシンプルなメッセージを伝えたいですね。そして、「もし頑張れなくなったときには、“夢”を原動力にして乗り越えていってほしい」ということも伝えたいです。家族のつながりでも、試合に勝ちたいという自分の目標でも、どんなことでもいいので、自分なりの夢を持って大切にしてほしいですね。

石井氏
―最後に、子ども達をサポートする親御さんたちに向けてメッセージをお願いします。

染谷氏:保護者の皆さんに伝えたいのは、「言葉の使い方を大切にしていただきたい」ということです。私自身、親にたくさんの愛情を受けて今の自分があるのですが、厳しい家庭で育ったので、ときには厳しい声を浴びることもありました。そういう言葉は、大人になってもトラウマとして残ってしまいます。そうやって心の傷ができてしまうと、いざ戦うというときに、自分に対して否定的になってしまって本来のパワーも出せないと思うのです。ですから、空手でもほかの何かでも、お子さんの挑戦を応援するときには、なるべく否定的な言葉を使わず、ポジティブな言葉を使ってあげてください。どんなに頑張っても、どうしても結果がでないこともありますよね。そういうときには、それまでの努力を否定するのではなく、すべてを受け入れて一緒に次の目標に向かって進んでいくことが大切なのではないかと思います。

(聞き手/株式会社LOCOK代表取締役、金沢工業大学虎ノ門大学院准教授 石井大貴)

pcfooter画像
pcfooter画像