会報誌

勝敗より「楽しむ気持ち」「成長する喜び」を大切に ~空手家 清水 希容氏 インタビュー~

東京オリンピックで空手女子「形」部門の銀メダルを獲得した清水 希容さん。9歳から空手を始め、世界選手権2連覇や全日本選手権7連覇を達成するなど、数々の輝かしい成果を収めてきました。​凛とした美しい演舞で人々を魅了してきた清水さんですが、その活躍の裏には常に一緒に戦ってくれたご家族の存在があったと言います。今回は、清水さんご自身の幼少期のエピソードや、ご家族がどのように支えてくれたか、これからの子どもたちへのメッセージなど幅広くお話を伺いました。

空手家 清水 希容さん

清水 希容氏プロフィール

大阪府出身。高校3年生から日本代表入りし、関西大学卒業後はミキハウスに所属。東京2020オリンピックでは銀メダル獲得。世界空手道選手権大会2大会優勝、アジア競技大会3連覇、全日本空手道選手権大会7連覇など輝かしい戦績を収め、2024年5月に競技引退。現在は、自ら「空手道」を極める姿勢を貫きつつ、空手関連のイベントや講演会に出演するなど、空手の楽しさを広く知ってもらうために精力的に活動中。

9歳で始めた空手 高校最後の年に日本一へ

石井氏
―空手を始めたきっかけは何だったのでしょうか?

清水氏:年子の兄がもともと空手の道場に通っていたこともあり、9歳のときに「私もやりたい!」と言って始めることになりました。もっと早くから習い始める子が多いので、私は遅い方だったと思います。空手というと、「怖い」とか「とっつきにくい」と感じる人が多いかもしれませんが、私は最初から「かっこいい!」というイメージでしたね。小さい頃から兄が空手をする姿を見ていましたし、父も剣道をやっていて、武道を身近に感じながら育ったからかもしれません。ちなみに、母は私にもっと女の子らしいことをしてほしかったようで、あくまでも空手は習い事の一つ、と考えていたようです。

石井氏
―いざ空手を始めてみていかがでしたか? すぐに空手の魅力にはまっていったのでしょうか?

清水氏:そうですね。入門した当初から、とにかく楽しかったです。道場には女性の先輩も多く、先輩たちの形がとにかくかっこよくて憧れていました。でも私、小学校のころはよく練習を休んでいたんです。道場の先生には体が弱い子だと思われていたのですが、本当はそんなことはなくて。というのも、私は道場に行きたいのだけど、兄は行きたくない。「練習休んでドラえもんを見たい」とか言い出すんです。それでいつもじゃんけんをして、私が負けると兄妹揃って練習を休んでいました。本当は体も全然弱くないし、私は練習に行きたくてしかたなかったんですけどね。

 

石井氏
―最初はあくまでも習い事の一つだったとのことですが、競技として結果が出始めたのはいつごろですか? 初めての試合など覚えていらっしゃいますか?

清水氏:初めて出たのは、地元の地域大会でした。その年は優勝することができたのですが、次の年は同じ大会で負けてしまって。悔しくて大泣きしたことを覚えています。結局、小学校の間は、全国大会の舞台に立つことはできませんでした。ただ、私自身は勝ち負けよりも、空手の形が好きで、もっとうまくなりたいという思いでやっていました。その後、中学1年生で初めて全国大会に出て3位になったのですが、そのときに同じ世代の子たちのレベルの高さに圧倒されて。とにかく悔しくて、「絶対に日本一になる」と思ったのが、どっぷり競技としてはまったきっかけです。それから日本一になるまで、6年かかりました。全国大会に出てもずっと3位どまりで、高校3年生のときにやっと優勝することができました。

引退後もさまざまなイベントで精力的に活動する清水さん

死に物狂いでメンタルを鍛え直した一年間

石井氏
―そこで日本一の壁を突破できたのはなぜだったのでしょうか?

清水氏:それまでも毎日必死に練習していましたが、特に高校最後の一年間は、本当に死に物狂いでした。実は、高校に入学するときに、母とある約束をしたんです。強豪校に行くには母を説得しなければいけなくて。そこで、「絶対に日本一になる。なれなかったら、学校も空手も辞めて就職する」と約束して入学しました。ところが、高校2年のときの全国大会で、気持ちが高ぶって頭が真っ白になり、自分の演武ができずに負けてしまったんです。そのせいで、それまで先輩たちがつないできた連覇の記録も途絶えさせてしまいました。母との約束もあり、残り1年で何とか結果を出さなければいけないという状況だったので、今まで以上に本気で自分に向き合いました。あの一年がなかったら、多分今の自分はないと思います。

石井氏
―本気で自分と向き合うというのは、具体的にはどんなアプローチをされたのですか?

清水氏:それまでの自分の性格を変えるぐらいのつもりで、メンタルを鍛え直しました。まず、本を読もうと思って、本屋さんに行きました。そしてメンタルに関する本を読みながら、「思考の転換」の大切さを学びました。私、もともとの性格はすごくネガティブで、めちゃくちゃマイナス思考なんです。それは今でもあまり変わっていないかもしれないですけど、でもそれをちょっとずつ変えていこうと思って。例えば、「できるかなぁ」じゃなくて、「やる」と断言するようにしたり、自分から発する言葉はなるべくポジティブなものにしたり。あとは、靴一つでもきれいに並べるとか、整理整頓するとか、細かいことに対してきちんとすることを意識していました。

家族のサポートで練習に集中できる環境に

石井氏
―ご両親はどんなサポートをしてくださいましたか?

清水氏:両親は、国内の大会は基本的に必ず応援に来てくれて、海外でも主要な大会は全て見に来てくれました。東京オリンピックも、コロナ禍で試合会場には誰も入れなかったのですが、「少しでも近くで応援したい」と近くのホテルに泊まってくれていました。「大会期間中は会えないし、どこで見ても一緒だから家で応援してくれればいいよ」と言ったのですが。会場のすぐ近くまで足を運んで、念を送ってくれたそうです。そして、普段から栄養面や生活面も全て母が管理して、私は練習だけに集中すればいいように環境を整えてくれていました。母なりにいろいろと勉強もして、本当にプロ並みのレベルで支えてくれたのでとても感謝しています。

石井氏
―ご両親に言われたことで印象に残っていることはありますか?

清水氏:両親は空手の技術に関しては一切口を出さないのですが、生活面や言葉遣い、人に対する態度などには厳しかったです。あと、自分が決めた目標に対して中途半端なことをしていたらめちゃくちゃ怒られました。試合で勝ったとしても、自分の良い形が打てなかったときは「あんな形、見たくないわ」とか、結構厳しく言われましたね。逆に、負けたとしても、良い形が打てていたら「今回は負けたけど良かったと思うよ」と言ってくれました。ただ、それ以外の細かいことは極力言わなかったですし、道場にも一回も来たことはなかったです。道場では、先生に預けているのだから親が口を出すものじゃないと。

自分の言葉に責任を 楽しむ気持ちを大切に

石井氏
―最近の子どもたちの空手を見て、どんなことを感じていますか?

清水氏:先日も全国大会を見に行く機会があったのですが、みんな大人顔負けというぐらいに上手なので、それだけ集中できる子どもたちは本当にすごいなと思いました。勝ち負けよりも、「楽しい」という気持ちや、自分の成長に価値を感じられるような環境であってほしいなと思います。

石井氏
―これからの子どもたちが清水さんのように好きなことに集中するためには、どんなことが大事だと思いますか?

清水氏:いろいろなことを経験して、体力をつけたり感覚を磨いたりすることが大事だと思います。例えば、最近ははだしで何かをするということが減っていて、子どもたちの足の感覚がすごく弱っているのだそうです。ほかにも、味覚や視覚、聴覚なども含めて、子どものうちに感じるものをどれだけ増やせるかが大切ではないでしょうか。とはいえ、やみくもに習い事を増やすというのでは子どもたちの体がもたないので、例えば学校の授業の一環として、いろいろなことを体験できる場があるといいなと。そういう場があれば、子どもたちが自分のやりたいことを見つけるきっかけになったり、より優れた感性が磨かれていったりするのではないかと感じます。

「生涯かけて空手と向き合いたい」と語る清水さん

石井氏
―最後に、次世代を担う子どもたちにメッセージをいただけますか?

清水氏:空手をやっている私からのメッセージとしては、人に挨拶をするとか、お礼を言うとかという、当たり前のことができるようになってほしいですね。最近は、感謝の気持ちを言葉にできない子が増えているので、まずは口に出せるようになるといいと思います。現代はSNSが発達していて、言葉の責任というものがすごく軽くなってしまっています。そんなご時世だからこそ、自分の言葉に対しての重みを感じながら、ありがとうという気持ちをきちんと伝えるとか、自分が言ったことに責任を持って行動するとか、そういうことを子どものうちから実践していってほしいなと思います。それに加えて、自分が楽しいと思えるものを見つけて、その気持ちを忘れずに続けていってほしいですね。もちろん、どんなに好きな事でも続けているうちに嫌だなと思うことも出てくると思いますが、本気で好きだったらやめないはず。楽しいという気持ちを大切に、諦めずに精一杯チャレンジしてみてください。

(聞き手/株式会社LOCOK代表取締役、金沢工業大学虎ノ門大学院准教授 石井大貴)