私たちの体全体をコントロールしている司令塔、「脳」。最近では、メディアなどで「育脳」というキーワードが取り上げられることも増え、幼少期の発達における脳の大切さが広く知られるようになってきました。今回は、脳科学者である慶應義塾大学 環境情報学部 青山 敦 准教授に、「人間の脳は6歳までにほぼ完成するというのは本当か?」「才能は生まれつき遺伝で決まっているのか?」など、子育て世代が気になる脳科学に関する疑問を伺いました。
脳科学者。2006年、慶應義塾大学大学院理工学研究科博士課程修了(博士(理学))。日本学術振興会特別研究員(PD、慶應義塾大学)、東京電機大学先端工学研究所助教、慶應義塾大学環境情報学部専任講師等を経て、2016年より同大学准教授。脳波・脳磁図などによる脳機能計測と脳情報解析を専門とし、人間の未知なる脳のメカニズムを明らかにする基礎研究や健康・メディア・コンピューティングなどへの応用を目指した研究を行っている。
脳波計測の様子
音感や語学の習得は脳を変化させる
石井氏
一説には「人間の脳や神経細胞は6歳までの間にその9割が完成する」とも言われていますが、実際にはどうなのでしょうか?
青山氏:最初に一言だけ申し上げますと、私は「子どもの脳」自体を研究している訳ではありません。そのため、子を持つ一人の脳研究者としてお話しできると嬉しいです。さて、恐らく多くの方は、「脳」と聞いて、たくさんの「しわ」がある脳、つまり「大脳」を思い浮かべるのではないかと思います。この大脳は、神経細胞の本体が集まっている「灰白質」と神経細胞同士をつなぐ線維が集まっている「白質」から成り立っています。最新の研究から、大脳の灰白質の体積は6歳前後、大脳の白質の体積は29歳前後で最も大きくなることがわかってきました1。つまり、脳のネットワークの構築は大人になるまで続きますが、脳の基盤自体は6歳である程度完成すると考えられます。
3Dプリントした大脳(左)と大脳における灰白質・白質(右)
石井氏
―6歳という年齢は、たしかに一つの節目と言えるのかもしれませんね。
青山氏:はい。ただ、実は大人でも灰白質を増やせる可能性があると言われているんです。例えば、ロンドン大学による有名な研究2があります。彼らは、ロンドン市内を走るタクシー運転手16人の脳を測りました。すると、記憶や空間認知を司る海馬の灰白質の体積が一般の人より大きいことがわかったのです。しかも、ベテランの運転手ほど大きかったそうです。タクシー運転手になって、複雑なロンドンの道を的確に行き来することを日々繰り返しているうちに、海馬が大きくなったのだと考えられます。ですから、実は大人でも脳は発達するんですよ。
石井氏
―スポーツや音楽などの「才能」というのは、生まれつき決まっているものなのでしょうか?
青山氏:遺伝である程度決まっている部分と、後天的に決まる部分があるように思います。例えば、絶対音感については、幼児期からトレーニングすることで、大脳の側頭平面と呼ばれる部分の左右の対称性が低下することがわかっています3。もちろん、先天的に音楽の才能に長けている子というのはいるでしょう。ですから、同じように習わせたとしても、どこまで伸びるかはそれぞれの子どもによって変わってきます。ただ、後天的に向上させられる部分が大きいということは言えると思います。
石井氏
―ほかに、後天的に鍛えられる能力にはどのようなものがありますか?
青山氏:語学もそうだと言えるでしょう。いわゆる「バイリンガル」と呼ばれる人の中には、生まれたときから日本語と英語の両方が飛び交う環境で育った人、日本語をベースとしつつ幼少期から英語を学んだ人、小学生になってから英語を学び始めた人など、さまざまなタイプがいます。特に英語を後から習得した場合、習得した時期に応じて、大脳の表層部分である大脳皮質の厚みが局所的に変化することが報告されています4。ただ、どのタイプが良いとは一概には言えません。あまり小さい頃から日本語も英語もやっていると、混同してしまうという人もいます。一方で、どちらも干渉することなく同等に高いレベルで話せる人もいて、これは個人によるところが大きいようです。
さまざまな経験を自分で消化することが大事
石井氏
―幼少期の発達において、脳科学の観点から見るとどんなことが重要だと言えるでしょうか?
青山氏:例えば、子どもの成長の基礎となる感覚の一つに「前庭感覚」があります。前庭感覚とは、体の姿勢や傾きなどを捉える感覚です。特に乳幼児期には、この前庭感覚や視覚、運動機能の発達によって、転ばずに歩いたり走ったりできるようになっていきます。子どもの発達段階においては、聴覚や触覚などの他の感覚も含め、さまざまな感覚同士をいかにうまく統合できるかが一つ重要な点として挙げられるかと思います。
石井氏
―子どものころからいろいろな感覚を刺激することが大事なのかもしれませんね。習い事などを通して、さまざまな経験を積んでいくというのも、脳に良い影響を与えることになるでしょうか?
青山氏:そうですね。さらに言えば、単純に経験するだけではなくて、それをきちんと自身の頭の中で考えて消化することが大事だと考えています。基本的に脳というのは、ある処理を行い続けることによって、その機能を強化していきます。ですから、流れ作業でこなしているだけでは適切に強化できない可能性があるのです。もし字が書けるお子さんであれば、日記やノートをつけるのも良いかもしれません。文章にしてアウトプットするということは、その間に必ず思考のプロセスが入ることになりますからね。
石井氏
―ただ漠然とこなすことと、自分の頭で考えて行動するということは全く別物なのですね。
青山氏:そう思います。なので、これは脳科学の観点というよりは私の個人的な考えになるかもしれませんが、親が全てお膳立てしてしまうより、子どもにはヒントだけを刺激として与える。その上で、子ども自身に考えて行動させる。その結果、もし間違っていたとしても、それはそれで良いと見守ってあげることが大切なのかなと思います。あまり細かく「ああだこうだ」と指示を与え続けるのではなく、子どもが自分でその方向性を見出すような力を養っていけると良いですよね。
石井氏
―子ども自身に能動的に考えさせるという意味では、昨今「アクティブ・ラーニング」という教育法も注目されています。こうした学び方についてはどうお考えですか?
青山氏:従来の日本の学校教育は、座学で知識を教わるという学び方が基本でした。一方、最近注目されている「アクティブ・ラーニング」は、グループワークやディベートなどを通じて、キャッチボールをしながら学ぶという教育法ですよね。何となく従来の日本型の教育は悪で、欧米型のアクティブ・ラーニングが善という風潮がありますが、私は本当はどちらも必要なんじゃないかと思っています。もちろん、自らが主体となって学ぶことは大事です。でも、その前提として、まずは人の話をきちんと聞いて、脳内で情報処理するという力も必要なので。実際に私が大学で授業をしていても、座学だけだと学生のモチベーションが湧きづらいし、アクティブ・ラーニングだけでは本人の能力が伸びない。やはりどちらかだけではなく、両方取り入れることが大事だと実感しています。
ベルトコンベアのような人生ではつまらない
石井氏
―先生もお子さんを持つ一人の親として、現代の子ども達を見て何か感じることはありますか?
青山氏:うーん、ちょっと脳の話からは離れるかもしれませんが、現代の子ども達はみんな忙しくて、管理されすぎているところがあるような気がします。与えられたことをこなすだけではなく、主体的な思考を育むためにも、もっと遊んだほうが良いんじゃないかなとは思います。ちなみに、ここで言う「遊び」の定義は、「本人にとって楽しいこと」です。それこそ、子ども自身が楽しんでいるなら、新しい漢字を覚えるとか、地図を見て国を覚えるといったことも含めて「遊び」と捉えられますよね。遊びと勉強の垣根みたいなものをあまり作らずに、本人が興味を持ったことをどんどんやらせてあげられると良いのではないでしょうか。
石井氏
―ご自身も、脳の世界が面白いと思ったからこそ研究の道に進まれたわけですよね。ちなみに、先生にも苦手な科目ってあったんですか?
青山氏:ありましたよ。高校の科目で言うと、現代文です。苦手というよりは、すごく良くできるときとできないときがあって、両極端だった感じですね。もしかしたら、文章の内容に共感できるときはよく理解できたけれど、共感できないときには徹底的に壁を作ってしまっていたのかもしれません(笑)。
石井氏
―苦手なことや嫌いなことを克服するのは大人でも難しいですが、何か秘訣のようなものはあるのでしょうか?
青山氏:最近私が思うのは、嫌いな食べ物があっても、よく探すとちょっとだけ好きな味の部分というのがある。それを見つけられると、その部分を拡大していくことで好きになれることもあるのではないかなと。その「ちょっとだけ好きな部分」は、ある程度継続することによって見出せることもあると思います。勉強でも仕事でも多分同じで、苦手なことや嫌なことがあっても、楽しい部分を探して取り組むと、意外と克服できたりする。そして、できるようになるとさらに楽しい部分が見えてきて、良い循環が生まれることもありますよね。
石井氏
―何でもすぐに「苦手だ」「嫌いだ」とバリアを張るのではなく、いろいろ経験して楽しさを見出すということが大事だと。
青山氏:はい。そういう習慣を幼少期のころから身に付けられると良いですよね。特にこれからの時代、ベルトコンベアに乗せられたような人生ではうまくいかないし、つまらないと思います。きちんと自分で考えて未来を切り開けるような人生を送るために、幼少期から自分の頭で考える癖をつけることが何より大事だと考えています。
研究室の合宿にて学生たちと
- Bethlehem, Richard AI, et al. “Brain charts for the human lifespan.” Nature 604.7906 (2022): 525-533.
- Maguire, Eleanor A., et al. “Navigation-related structural change in the hippocampi of taxi drivers.” Proceedings of the National Academy of Sciences 97.8 (2000): 4398-4403.
- Hou, Jiancheng, et al. “Neural correlates of absolute pitch: A review.” Musicae Scientiae 21.3 (2017): 287-302.
- Klein, Denise, et al. “Age of language learning shapes brain structure: a cortical thickness study of bilingual and monolingual individuals.” Brain and Language 131 (2014): 20-24.
(聞き手/株式会社LOCOK代表取締役、金沢工業大学虎ノ門大学院准教授 石井大貴)