
Jリーグのジュビロ磐田で長く主力を務め、日本代表として二度のワールドカップに出場するなど、世界を舞台に活躍した元サッカー日本代表の福西 崇史さん。現役引退後は、サッカー解説者や指導者として活動し、次世代育成やスポーツ教育にも力を注いでいます。今回は、サッカー以外のスポーツにも取り組んでいたという幼少期のエピソードから、一つ一つ目標を叶えながら日本代表まで上り詰めた現役時代、さらに指導者となった今子どもたちとどう向き合っているかなどについて語っていただきました。
サッカー解説者・指導者
福西 崇史氏
1976年生まれ、愛媛県出身。1995年ジュビロ磐田へ入団。Jリーグでは通算349試合に出場し、ベストイレブンを4回受賞。日本代表として2002年日韓ワールドカップ、2006年ドイツワールドカップと2大会連続出場。国際Aマッチ計64試合に出場し、2004年アジアカップでは決勝の中国戦でゴールを決めるなど優勝にも大きく貢献。2007年FC東京、2008年東京ヴェルディへ移籍し、2009年1月に現役を引退。現在は、サッカー解説者としてテレビやメディアで活躍しながら、サッカー教室や講演会、YouTube 「福西崇史福ちゃんねる」などを通じてサッカーの普及・次世代育成の活動に努めている。
サッカーだけではなかった幼少期
石井氏
―幼少期はサッカー以外のスポーツもされていたと聞きました。どんなスポーツをしていたのですか?
福西氏:僕は愛媛出身なのですが、四国ってもともと野球が盛んな地域なんですよ。しかも、父親がアマチュア野球の選手だったので、どちらかというと野球のほうが身近だったんです。小さいころから、よく父親とキャッチボールをしたり、一緒に体を動かしたりしていましたね。あとは、幼稚園のころからずっと器械体操をやっていました。先に兄が器械体操を始めたので、母親が送り迎えをするときにいつも僕もついて行っていて。それならお前もやるか、という話になったのがきっかけでした。
石井氏
―お父さんとしては、野球をやってほしいなと思ったりしなかったのでしょうか?
福西氏:実際の心の内は分かりませんけど、話を聞くと、基本的には僕自身の選択に任せようと思ってくれていたみたいですね。今の僕も同じです。子どもがサッカーをしてくれたらうれしいけれど、別にサッカーでなくてもいい。何を選ぶかは本人たちに任せています。僕の場合は、たまたま小学3年生のときに、友達が小学校のサッカーチームに入ることになって、面白そうだなと。ただ、当時は3年生までは保護者がついて行かなければいけなくて。親に迷惑を掛けるのは嫌だったので、僕自身は4年生になってからチームに入りました。
石井氏
―4年生からスタートというのは、プロとしては遅い方でしょうか?
福西氏:遅い方だと思います。でも、当時は今ほどサッカーの環境が整っていたわけではないので、そのぐらいから始める人も結構いましたよ。今はもう全国的にサッカーの土壌ができているから、幼稚園から始めましたとか、小学校の低学年から始めましたという子が多いですけど。そういう時代の違いというのはあったかもしれませんね。
器械体操と遊びで鍛えた体の使い方
石井氏
―サッカーを始めてからも器械体操は続けていたのですか?
福西氏:はじめのうちは器械体操も並行していましたが、中学でサッカー部に入ってからは、徐々にサッカーにのめり込んでいきました。器械体操のほうも、中学生になると本格的になってくるんです。小学生のうちはマット運動がメインだったのが、中学では床、あん馬、鉄棒など全てやるようになるし、試合にも出るようになる。そのうち両方続けるのが難しくなってきて、自分でサッカーを選んだという感じです。
石井氏
―器械体操の経験がサッカーに生かされているなと思う部分はありますか?
福西氏:もちろんあります。やっぱり、体の使い方ですかね。器械体操をやっていると、バランス感覚や体幹の強さが身に付くので、空中の姿勢やジャンプの高さに生きてくる。これって、ヘディングする上ですごく大事な要素なんです。実際、現役時代はヘディングで結構点を取らせてもらいました(笑)。あと、競り合いのときの体の使い方や、走りながらぶつかったり、方向転換したり……。そういう部分は、器械体操で培ったものがすごく生かされたと思います。
石井氏
―体の使い方というのは、指導者から教わったのですか? それとも自分で習得していったのでしょうか?
福西氏:指導者からは何も言われなかったですね。自然に身に付いた感じです。僕の場合、器械体操で体を使っていたということもありますけど、それ以外でもめちゃくちゃ遊んでいたので。子どもが遊ぶときって、「体の使い方が……」なんて意識しないじゃないですか。ただ楽しいから夢中になっているだけで。今の時代だと叱られるだろうけど、当時は当たり前のようにどこかの壁をよじ登ったり(笑)。山に遊びに行ってわらびを取ったり、海にもぐって泳いだり……。もう夢中になって、自然と一緒に遊んでいました。それも体の使い方に生かされていたのでしょうね。
一つ一つの目標を追い求めて日本代表に
石井氏
―サッカーを始めてすぐに才能を発揮されたのでしょうか?
福西氏:小学生のころから、地元の新居浜ではうまいうまいと言われて、ちやほやされていました。でも、上に行けば行くほど、他の選手のレベルの高さに圧倒されましたね。新居浜選抜ぐらいまでは、“お山の大将”ですよ。少しぐらい力を抜いても通用してしまうというか。でも、愛媛を三分割した「東予地区」の選抜チームに選ばれたらレベルが一気に上がって、そんな余裕なんてなくなりました。とはいえ、まだカルチャーショックを受けるほどではなかった。ところが、いよいよ愛媛選抜に選ばれたときには、あぁ自分の力なんてこんなものかと。スピード、技術、動き方、もう何もかもが違うと感じましたね。
石井氏
―他の選手との実力の違いを感じて、もう嫌だと思ったりはしなかったのですか?
福西氏:それはなかったですね。その悔しさが僕の原点になったので。やっぱり、すごいやつがいるのを目の当たりにしたら悔しいですよ。でも負けたくないから、地元に戻って練習する。それで自分が成長すれば、また彼らと一緒にできるようになるわけです。四国選抜に選ばれて全国大会に出たら、ヒデ(中田 英寿氏)やツネ(宮本 恒靖氏)みたいな、日本を背負っている同級生がいる。それを見て、純粋にすごいなぁと思っていました。
石井氏
―ご自身がいけるなという手ごたえを感じ始めたのはいつごろからですか?
福西氏:いや、いけるなと思ったことはないですね。常にその場その場で、「あの選手に追いつきたい」とか、目の前の目標を追い求めているうちに徐々にステージが上がっていった感じです。結果的に日本代表になれたことは、僕にとってはものすごい出来事でした。もともとはプロになろうとも、なれるとも思っていなかったので。でも、目先の目標はいつもしっかり持っていました。まずは選抜チームに選ばれるにはどうしたらいいか。次はチームが地区予選で勝つには、全国大会に出るにはどうしたらいいか。一つ一つの身近な目標に向かって頑張っていました。
自分にしかできない指導できっかけを作りたい
石井氏
―現役時代は、外国人監督のもとでプレーすることも多かったですよね。文化の違いなどもあったと思いますが、この監督とは合わないなと感じたことはありますか?
福西氏:もちろんありましたよ。指導者との相性ってすごく大事だし、でも自分では選べないものでもあるし。これはもうしょうがないです。相手を受け入れる気持ちを持ちつつ、その中で自分に何ができるかを考えるしかない。どんな状況であれ、自分にできることをやっていれば必ず成長はするので。もし、どうしても我慢できなくて、競技自体が楽しめなくなってしまうようなら、離れるという選択もありだと思います。ただ、すぐにその選択をするのではなく、まずは自分にできることをやる。その上で、どうしてもだめだったら離れればいい。そのためにも、自分がどうありたいかという芯をしっかり持つことが大切だと思います。
石井氏
―ご自身もコーチのライセンスを取られています。特に子どもたちに対して、指導者はどうあるべきだと思いますか?
添田氏:「こうあるべき」という答えがないものだと思っています。指導者自身が辿ってきた経験や環境によって、それぞれの考えが形作られるので。僕の場合は、愛媛で生まれ育ち、サッカーのエリートではないところから、のし上がっていかなければいけない環境だった。であれば、この経験を生かさなければいけないなと。僕はそれしかわからないので、そういう気持ちをどうやって子どもたちにも芽生えさせるか。そのきっかけづくりができたらいいなと思っています。全員が全員、僕の考えに合うかどうかは分からないけど、その中から何か引っかかるものを感じて伸びてくれる子がいればうれしいですね。そういう子たちがたくさん出てくれば、日本サッカー界も盛り上がるでしょうし。

イベントで子どもたちと触れ合う福西氏
石井氏
―最後に親御さんにメッセージをお願いします。
福西氏:子どもにとって、親は特別な存在です。だからこそ特別な応援ができると思うので、ぜひお子さんに寄り添ってサポートしてあげてください。僕の両親も、父は練習や試合の送り迎え、母はお弁当作りなど、僕がサッカーに打ち込める環境を作ってくれました。やはり、大人がどう環境を作ってあげるかが、子どもたちに大きな影響を与えると思います。僕自身も、今後もさまざまなイベントなどを通じて子どもたちと触れ合っていきたい。サッカー選手としてだけでなく、人として「考える力」を育んだり、少しでも成長できるような機会を作れたらいいなと思っています。
(聞き手/株式会社LOCOK代表取締役、金沢工業大学虎ノ門大学院准教授 石井大貴)





